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能島城
日本遺産や続日本100名城にも選ばれた「村上海賊」こと村上水軍(むらかみすいぐん)は、伊予能島(のしま)、来島(くるしま)、備後因島(いんのしま)の3家に分かれて、主筋となる能島村上家と、来島村上家、因島村上家がありました。
その村上水軍の中でも主派となる能島水軍の本拠地となっていたのが、国史跡・能島城(のしまじょう)となります。
能島城の周辺は、干満時には激しい潮流になり渦を巻くことから、敵が船に乗って能島城へ接近することが難しい、天然の要害とも言える海のうえにある水軍城でした。
すぐ隣に、属島となる鯛崎島があります。
村上水軍の村上氏は、信濃村上氏が起源だとする説が有力です。
すでに南北朝時代には瀬戸内海の制海権を握っており、荘園年貢などを輸送する本拠地付近を航行する船舶の警護と言う名目で、駄別料として積荷の1割を取り立て、いわゆる通行税を徴収して生計を立てていたようです。
そのため、村上海賊、海賊衆とも呼ばれます。
なお、島では水が出ないことから、水は船にて補給していたようです。
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戦国時代となり能島城主・村上武吉の時に、村上水軍は最盛期を迎えました。
しかし、因島村上家は毛利家と所領が近い事から、毛利元就に臣従していました。
また、来島村上家は伊予に近い事から、湯築城主・河野家に臣従しています。
ただし、中間地点となる能島村上家は、河野家と友好関係がありましたが、臣従まではせず独立していました。
やがて毛利元就の勢力が大きくなり、河野家が衰退すると、毛利水軍の一翼を担い、毛利氏の伊予出兵や、1576年に織田信長の九鬼義隆ら織田水軍と戦った第1次木津川口の戦いなど、毛利家に協力しました。
1585年、能島・村上武吉は、豊臣秀吉の四国攻めに従わなかったで、小早川隆景の攻撃を受けてます。
難攻不落の能島城に対して、小早川隆景は、強風の日に麦藁をたくさん積んだ舟を何百と潮流に乗せて火を放ったため、その火は能島城の建物に燃え広がり、島全体が火に包まれて落城したと言われています。
その後、豊臣秀吉が天下統一すると、豊臣水軍に加わる形となりましたが、1588年、豊臣秀吉の海賊廃止令に伴い、通行税徴収などができなくなり、村上水軍も事実上収入を絶たれます。
こような経緯から能島城は廃城となり、ずっと無人島になっている為、岩礁にある桟橋跡の柱穴(ピット)も460個ほどあると言います。
このように、遺構の状態は手つかずのままなようです。
しかし、通常は、海の小島で無人島でもあるため、定期船も無く、渡る事はできません。
桜が見ごろとなる毎年4月上旬の土日(日にちは毎年流動的)の2日間のみ「能島の花見」として、能島水軍の「潮流体験」の港から、能島に上陸できる渡船が運行されますが、さすがに関東に住んでいると日程合わせるのが難しく、断念しています。
ちなみに、伊予大島・宮窪港にて「能島水軍」さんが運行している「潮流体験」が平日でも運行があり、乗船することで能島の周りを巡ってくれます。
しかし、小生が最初に訪れた時には、ひとりであったこともあり、人数不足で運航中止でした。残念。
リベンジではありませんが、翌年には家族で行くことで、お陰様で、潮流体験にも乗船することができました。
下記は能島城と出丸・鯛崎島との間を流れる激しい潮流の動画です。
川ではありませんよ。海です。
能島水軍・潮流体験
宮窪町漁業協同組合が運航する能島水軍(のしますいぐん)潮流体験の観光船(遊覧船)に乗船しますと、能島城を海の上から、間近に見学することが可能です。
乗客が2名以上でないと船は出ませんので、一人旅の時には、もうひとり以上、同じ時間に乗船する方がいないと、欠航となります。
なお、瀬戸内海を激しく流れる潮流を体験するためには、満潮時刻と干潮時刻を気にする必要があります。
公式サイトに潮流ベストタイムが明記されています。
その時間がベストと言う事ではなく、その時間の1時間前と、1時間あと、すなわち、ベストタイムの前後1時間(合計2時間)の間が、潮流が激しい時間と言う事になります。
船は毎時00分に出航して、所要時間は約40分です。
能島水軍の乗船場に到着しましたら、建物内の受付にて、乗船時間を予約・支払いしましょう。
時間が空いてしまった場合には、向かいの村上水軍資料館を見学すればよいです。
資料館の見学所要時間は30分程度もあればOKです。
なお、能島城を良く見えるのは、私が乗船した際には、進行方向「左側」でしたが、いつもそうなのかはわかりません。
ライフジャケットを着て乗船しますし、航行中の席移動は禁止ですので、その点はご注意願います。
もちろん、併設されている物産館兼魚食レストラン「能島水軍」にて、海鮮バーベキューや、海鮮丼などを堪能もして頂ければと存じます。
村上水軍資料館
下記写真は、今治市の村上水軍の資料館です。
展示方法も新しく、説明も比較的シンプルで、わかりやすいです。
その資料館の道路反対側に「能島水軍」の乗船場となる建物と駐車場があります。
下記は、資料館の展望台(3F)から、能島水軍乗り場を撮影したものです。
村上水軍資料館では、村上海賊のことを、詳しく資料展示しています。
わくわく体験ルームでは、甲冑や小袖を着て、記念撮影もできます。
ちょっとした喫茶店では軽食もありますし、ゆっくり過ごすこともできます。
カレイ山展望台
能島城の全体像を知るのには、高い所から見るのが一番と言う事で、カレイ山展望台をご紹介いたします。
下記の地図ポイント地点は無料駐車場がある場所となります。
地図では道が狭くて、どこから上がって行けば良いのか分からなかったのですが、レンタカーのカーナビを設定したら最適な道を案内してくれました。
地図は縮尺を変えてご覧願います。
能島城の場所ではありませんので、ご注意願います。
カレイ山の公園は、平日でしたので、誰もいなくヒッソリとしていましたが、キャンプ場もあるようです。
下記のような「ヤギさん」もいましたが、個人飼育?な感じでして、不思議なところでした。
アクセス
能島城は無人島で、現時点では定期船も出ていないため、上陸は困難です。
そのため、このページでもご紹介いたしました、能島水軍の船に乗船して、城跡の周りを巡るのが一般的となります。
その能島水軍と言う遊覧船(観光船)へのアクセス・行き方としてここではご紹介させて頂きます。
松山市内からですと、国道196号を経て今治ICから「しまなみ海道」に入って大島南ICで降り、約1時間30分の距離となります。
広島や岡山からは車だと約2時間です。
地図ですが、詳しい場所は当方のオリジナルお城マップにてご確認を賜りますと幸いです。
なお、能島城は、村上水軍城として、本丸、二之丸、三の丸、東南出丸、吊り橋、鯛崎出丸などの再現整備が今後行われていくようですので、とても楽しみですね。
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この記事は再訪問に伴い、戦国武将列伝Ωの記事を再編集したものです。
・村上景とは~村上海賊の娘「主人公のモデルとなった女性は?」
・村上元吉と村上景親~村上水軍を引き継ぐも三津浜夜襲にて討死
・村上吉継とは 来島村上家の一族【村上海賊】
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・厳島の戦い~戦国時代の三大奇襲戦と宮島の宮尾城と勝山城
・来島村上家の来島通総と来島城【村上海賊】
・小早川隆景【詳細版】~毛利家大きく支えた智将
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・鎮海山城と村上元吉の墓~長生寺と河野通直の墓のセット訪問
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