岡山県

金川城(玉松城) 松田元賢の最後も

金川城(玉松城) 

備前・金川城(かながわじょう)は、岡山県岡山市北区御津金川にある標高225m、比高185mの連郭式山城です。
臥龍山(がりゅうざん)の山頂が本丸で、別名を玉松城と言います。
旭川と宇甘川〈うかいがわ〉の合流点にあり、交通の要所を抑えた城となっています。

最初の築城は、鎌倉時代の承久年間(1219年~1222年)に承久の乱で戦功を挙げた松田盛朝が、備前国御野郡に所領を与えられて築城されたとされます。
この備前・松田氏は、藤原秀郷の末裔・波多野氏の一族とも、相模国の御家人の松田氏ともされますが、出自は定かではありません。

金川城(玉松城) 

南北朝時代となって、1467年に松田元隆が、富山氏の備前・富山城(とみやま-じょう)をほ攻略すると、松田家の本拠を移しました。
しかし、ほどなく1480年、松田元隆の子・松田元成は、居城を金川城に戻しています。
この頃、赤松政則から攻撃を受けており、松田元成は山名政豊に援軍を要請しています。
そして、1484年、備前・福岡城を守る小鴨大和守・櫛橋則伊ら赤松勢を撃破し、浦上則国の三石城を攻めますが大敗し、退却する途中に松田元成は追いつかれて自害したとされています。





跡を継いだ、松田元藤(まつだ-もとふじ)は、1485年に、浦上則宗の子・浦上則景・浦上則国の兄弟を討ち取るなど戦功を挙げますが、1488年には備前・福岡城を失っています。
しかし、守護に従っていたと言う立場から、備前国の西半分を領有するほどの戦国大名へと独立を果たして行きます。
1509年からは、居城の金川城を玉松城へ改名しました。

松田元陸(まつだ-もとみち)の代の時には、第12代将軍・足利義晴より侍所所司代に命じられますが、1531年、足利義晴の命により天王寺の戦いに参陣しますが、赤松政祐の裏切りを受けて、浦上村宗、細川高国と共に討死しました。

松田元堅(松田元輝)の頃には、宇喜多直家の力が強大になり、1562年、子の松田元賢に直家の娘と婚姻させ、姻戚関係を結びます。
そして、月山富田城尼子晴久に味方しましたが、明禅寺の戦いにて、宇喜多家に援軍を出さなかったことから、関係が悪化します。
また、領内の寺には、日蓮宗への改宗を強要するなどし、従わない吉備津彦神社を焼き払うなど、家臣からも反感を買ったようです。
永禄11年(1568年)、宇喜多直家は松田家の重臣である虎倉城主の伊賀久隆を内応させ、金川城(玉松城)を包囲させたところ、宇喜多家の軍勢も派遣しました。
そして、松田元輝は伊賀久隆の鉄砲隊によって討死します。

金川城

子の松田元賢は、金川城の落城から脱出して逃亡を図りました。
弟・松田元脩と共に、夜闇に紛れ城を脱出したと言います。

そして、西の山伝いに下田村まで落ち延びたところを、伊賀勢の伏兵によって発見されます。
すると、刀を抜いて敵陣に斬り入りましたが、1568年7月7日、討死となりました。
この知らせを聞いた正室である宇喜多直家の娘も程なくして自害したと言います。

地元では、七夕祭りが長い間、行わなれなかったと言います。

松田元賢の弟・松田元脩は備中に逃れ(一説には因幡の山名豊国に仕えたという)、235年続いた備前松田氏の宗家流は滅亡するに至りました。





その後、金川城(玉松城)には宇喜多直家の弟・宇喜多春家が入り、岡山県でも天神山城と並んで屈指の規模を誇る中世山城へと改修したようです。
天正9年(1581年)4月に、毛利勢が忍山城へ侵攻した際にも金山城を守備し、伊賀家久の猛攻をしのいでいます。

1600年、関ヶ原の戦い宇喜多秀家は改易となり、小早川秀秋が備前に入りましたが、金川城はほとんど使われなかったようです。

1603念、池田忠雄が岡山城主になると家老・日置忠俊(へき-ただとし)が、17000石にて金川城(玉松城)となりましたが、一国一城令にて廃城となりました。

金川城(玉松城)の本丸下にある井戸は、日本一と言われる直径8m、深さ10mもある大きな井戸になっていると言いますので、落ちないようにご注意を。





交通アクセスですが、JR津山線の金川駅から徒歩約1km、約20分で登城口となります。
今回、予定外の訪問となりましたので、登るまではしませんでしたが、登城する場合には、御津町郷土資料館の駐車場が利用できます。
駐車場から本丸まで40分ほどと言うことですが、遊歩道は整備されているようです。

七曲神社、妙覚寺、北区役所支所の駐車場も利用可能とのことです。

宇喜多直家~岡山の開祖として地域発展させた戦国武将
浦上宗景 美作・備中に覇をとなえるも宇喜多家により
備前・虎倉城 伊賀久隆 伊賀家久 長船越中(長船詮光)
明禅寺城 明禅寺の戦いで宇喜多直家の大勝利も
伊賀久隆に討ち取られた石川久式
石川久式 最後まで主君を見捨てなかった石川源左衛門

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
備前
著者コメント
整備されていますが、結構、坂や階段を登っていきます。

 

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