長野県

相木城と相木昌朝(相木昌友)~相木市兵衛や相木頼房も

相木城

相木城(あいき-じょう)は、長野県の南佐久郡北相木村坂上にあり、阿江木城とも言われます。
山城ではなく、平坦部の北相木川が大きく曲った場所にあり、相木城の東・南・西の三方を川で囲まれた地形になっている平山城となります。
標高は約1000m、比高は10mほどと言ったところでしょうか?
ただし、付近は民家や畑などになっており、相木城としての遺構は、見受けられません。

ぶどう峠に繋がる街道沿いの番所があったと考えられる場所には、現在、北相木村郵便局があり、そこに相木城址の石碑が建立されています。

相木城

背後の山である天神山や丸岩城は詰の城であり、南相木村にある古城(峰尾城)と、この北相木村の坂上の新城をまとめて「相木城」と呼ばれています。

相木城

相木昌朝(相木昌友)

実に、いろいろな名前がある戦国武将がいる。

それは相木昌朝(あいき-まさとも)(1516~1567年)。

相木氏は阿江木(あえき)氏とも言われ、長野県の小県郡依田荘(上田市)を発祥とし、清和源氏の流れを汲むする依田氏の一族と考えられています
長窪城主・大井貞隆の家老であったが、1484年村上政清・村上顕国(村上義清の父)が佐久に侵入し、大井城が攻略されてからは、相木氏は大井氏を離れて、佐久・相木城を拠点としました。

しかし、兼ねてから村上義清を快く思っていなかった相木昌朝は、武田晴信の呼びかけに内応し、1544年9月相木昌朝などの手引きで大井貞隆は武田に滅ぼされました。
以後は武田晴信に仕え、武田信玄の信濃攻略において、地の利を活かし数多くの戦功をあげます。
真田幸隆らと共に騎馬80騎持ちの信濃先方衆として田口城主になり、甲府にも屋敷を構えることが許されました。
山県昌景の相備衆もつとめています。

このように、主君を何度か変えたのが功を奏したのか?、文献での相木昌朝は様々な名前が使われています。

依田昌朝、依田正朝、依田能登入道常善、相木能登守昌朝、相木昌友、阿江木昌朝、阿江木昌友、相木政友、相木政朝、相木政信、相木昌信、相木正友、相木正朝、相木平三、相木平三郎などとも称される。
通称は、相木市兵衛ですが、相木昌朝の次男も、相木市兵衛と称していることから、文献でも混乱・間違えが多いように感じます。
出家したあとは、相木能登入道、相木常喜、相木常善、相木能登入道常善、相木常林などと称しますが、相木常善の名は次男・相木市兵衛である可能性もあります。

1561年には武田信玄が相木市兵衛に「善光寺を護り、善光寺平の治安を守るように」と命じたことから、1561年~1567年に相木市兵衛が老衰で死去するまで、長野市三輪に築いた相木城に居住したと言われています。
そのため、長野女子高校の場所も相木城と呼ばれることがあります。
また善光寺の東方、現在の長野市立城山小学校辺りに「相木城砦」も置かれたとも言い、旧北国街道には今でも「相ノ木通り」と言う道路も存在します。

なお、相木城主となった弟・相木信房は、武田勝頼の時に信州先方衆の総大将となりましたが、高天神城の戦いで討死しています。
その相木信房の妻は、信州一の女性剣士といわれた更科姫です。

相木市兵衛の後、相木城は次男の相木善量(相木七良右衛門善量)が引き継ぎ、また、相木善量は後に福井県相ノ木の祖となりました。

相木頼房

なお、1582年に武田家が滅亡すると、相木頼房?(依田能登守)は、北条勢に味方して、徳川勢についた依田信蕃(芦田信蕃)と戦いました。
しかし、小海の三枝昌吉が徳川方について攻撃してきたため、相木城は落城しています。

三枝勢は、相木城の弱点であった西丸の後方にある天神山砦を落として、城主が不在だった相木城を落城させたとあります。

田口城を脱出した相木頼房は、前山城から逃れて来ていた伴野貞長と共に北条家を頼りました。
その後、1590年に、豊臣秀吉小田原攻めが始まると、混乱に乗じて佐久奪還を試み、相木城に拠っています。
しかし、依田信蕃の子・松平康国(依田康国)によって、北相木の白岩・木次原の戦いとなり、伴野貞長は討死し、相木頼房(依田能登守)は上州へ逃れたと言われ、その後の消息は不明です。

なお、相木市兵衛の長男や、相木頼房(室は武田信廉の娘)の子孫は、佐久・南相木の名主として残り、現在に至っているようです。

相木市兵衛(依田能登守、依田市兵衛)~武田家臣
相木森之助・相木盛之助・相木幸雄・依田信房~豪勇で知られた武将
更科姫~勇婦~歌舞伎の「紅葉狩」に登場するお姫様
海ノ口城~武田晴信が初陣にて300を率いて落とした山城
龍岡城(龍岡五稜郭) 日本に二つしかない五稜郭の一つ
関東周辺の史跡巡りに便利な地図

この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
上級者向け
旧国名
信濃
著者コメント
クルマを止めるところもなく、非常に攻略が困難な城跡です。

 

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