宮崎県

日向・目井城と伊東家に忠義を尽くした河崎祐長

日向・目井城

日向・目井城(めい-じょう)は、宮崎県日南市南郷町中村乙字山之口にある標高120m、比高60mの山城です。

最初の築城は不明ですが、戦国時代の天文年間(1532年~1555年)に、飫肥城主・島津忠広が築城・改修したともされます。
家臣の日高源左衛門(日高源左衛門尉)が目井城の守将となりました。

当時の港「目井津」は、明と貿易港であり、港を守る目的があったようです。

1551年9月に伊東氏が目井城を攻めた、目井城の戦いでは、伊東家の上別府宮内少輔、長池刑部少輔などが活躍し、地頭として置かれていた豊州島津家の新納河内守を打ち取ったとあります。(寝返ったとも?)
戦いの記録としては、伊東家の一族である伊東相模守(伊東祐梁)が大将で、鬼ヶ城(飫肥城の東にある城か?)の兵にて、鉄砲も使い、新納河内守以下130余人を討ち取ったとあります。

飫肥の島津氏が伊東家に屈したあとは、伊東義祐の家臣・河崎祐長(河崎駿河守祐長)が目井城主となり伊東48城の1つになりました。





トップ写真は西の陸側から撮影しましたが、日向・目井城の東側は太平洋に面しています。

河崎祐長

河崎祐長(かわさき-すけなが)の先祖は、神奈川県川崎市を本貫として河崎氏で、その庶流です。
伊東祐重が日向に下向に際ししたがい、伊東氏の家中で河崎氏は四天王となっていました。

河崎祐長は1533年生まれで、姉が伊東義祐の側室となっており、のち伊東家の家督を継いで、飫肥藩主となる伊東祐兵を産んでいます。

河崎祐長は、天正5年(1577年)、伊東崩れによって伊東義祐と伊東祐兵が豊後の大友宗麟を頼った際、外ノ浦の弥太夫という人物に頼んで、海路から豊後に向かいました。

天正6年(1578年)、耳川の戦いで大友勢が大敗を喫し、伊東義祐・伊東祐兵の親子が豊後に居づらくなると、河崎祐長の手引きにより、四国の湯築城主・河野通直のもとに移らせます。
こうして、伊東家の従者20余人と共に豊予海峡を渡って道後の河野氏を頼りました。

伊予での生活は困窮し、伊東家の主従は、河崎祐長の酒造りにて生活を支えられたと言います。
この頃、伊東祐長は三峯という山伏を雇って、大峯修行の護摩を焼き、毎年供養をしていました。
この三峯が播磨にて、羽柴秀吉の家臣となっていた尾張伊東家の伊東長実に出会い、その仲介にて伊東祐兵ら主従は織田信長に仕官することになります。

1582年、本能寺の変のあとは羽柴秀吉に仕え、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いなどにて戦功をあげたため伊東祐兵は500石となります。
そして、九州攻めのあと、伊東家は旧領のうち2万8000石にて復活しました。

このように、伊東家に対して忠実に尽くした河崎祐長は、伊東家再興における最大の功労者であったことから、曽井城のつぎに重要な清武城を1598年まで任させれています。

朝鮮攻めの際には、高齢であったため日向に残り留守を努めたため、子の河崎権助が朝鮮に渡っています。
ちなみに、この河崎権助の墓は清武城からほど近い宮崎市清武町加納甲1941-47にあります。

しかし、飫肥では稲津重政が影響力を高めたため、反発した河崎祐長は1596年に、長男で伊東平右衛門祐氏の養子となっていた伊東祐豊(いとう-すけとよ)と共に一時日向を出奔しましたが、のちに帰参しました。
江戸時代となり飫肥藩の行く末を見届け、1615年に死去しています。

なお、一緒に出奔した伊東祐豊は、大阪で、島津義弘に召しだされて1000石となり、薩摩藩では唐船奉行となっています。
そのため、飫肥藩の河崎氏は、河崎祐長の弟・河崎大學助祐信(河崎大学)が継承した模様です。

話を戻しますが、伊東家が日向を去ったあと、目井城を含む日向の大半は島津家が支配します。

なお、目井城跡はかつて展望台が設けられ、遊歩道など整備されたようですが、現在は非常に荒れており、遺構はほぼ消滅しているとの事前情報でしたので、遠景だけ撮影させて頂きました。





JR日南線の南郷駅から登城口まで歩約15分です。
車の場合、霧島神社脇にある南郷漁協の駐車場を利用可能とのことです。

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攻略難易度
上級者向け
旧国名
日向
著者コメント
城は荒れている模様です。

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