阿伎留城とは
阿伎留城(あきるのじょう)は東京都あきる野市三内の天竺山(標高310m)にある山城。
山頂には三内神社の本社(本殿)があったと言うので山岳信仰の名残りもある山城と言える。
現在、三内神社はだいぶすたれてしまったようだが、天武天皇の御宇10座を奉斎して延暦24年(805年)の創建とされ三ノ宮大明神と呼ばれていた。
富士山が延暦の大噴火を起こした3年後であり、坂上田村麻呂が盛岡に志波城を築いた頃である。
天竺山そのものが三内神社の境内の為、三内神社の神官を務めた三内氏が築城したと考えられているようだ。
そもそも「あきる野市」の名前のもとになった「阿伎留城」であり、秋留郷三宮村三ノ宮大明神と称していたようなので、古くから栄えた集落があったのであろう。
なお、鎌倉時代にはは三ノ宮大明神の三宮綱遠(三宮孫四郎綱遠)が神官だったようだがもちろん山頂に城など築く時代ではないため、麓にある三内神社付近に屋敷を構えたのであろう。
戦国時代には三宮国政(三宮中務大輔国政)が阿伎留城主と見え、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際に八王子城の籠城に加わり討死した。
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三宮氏は江戸時代に名主を務めた子孫の三宮源左衛門昌国のときに三内氏へと改名したと言う。
交通アクセス
阿伎留城への行き方だが武蔵五日市駅から700m、踏切を渡ったところ(徒歩10分ほど)で麓にある三内神社に到着でき、奥の登城口から背後の山に登ると徒歩15分くらい。
駐車場はないので武蔵五日市駅前にあるコインパーキング利用が無難か?
登城口の場所は当方のオリジナル地図にてポイントしている。
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