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檜原城の解説~平山正泰の居城で横地吉信(横地監物)が逃げたとされる「檜原城の戦い」

檜原城

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檜原城とは

城名 : 檜原城、本宿城
場所 : 武蔵国
形態 : 山城
天守 : なし
築城年 : 戦国時代
築城者 : 平山氏
遺構 : 曲輪、堀切、竪堀
駐車場 : 役場などあり

檜原城

檜原城(ひのはらじょう)は、東京都西多摩郡檜原村本宿にある山城で、標高は452m、比高200mほどになります。
最初の築城年としては、鎌倉公方・足利持氏から恩賞として与えられた、平山正泰(平山三河入道正泰、平山三河入道)が、1413年に築いたようです。
立地的には、甲斐国から武蔵国に入る、入口にあたり、関東管領・上杉禅秀に味方していた武田家を警戒していたものと考えられます。
平時の居館跡は、麓の吉祥寺だと考えられているようです。

檜原城

平山氏は武蔵七党のひとつ西党の一族で、武蔵国多摩郡平山郷(東京都日野市平山)の武蔵・平山城(平山氏館)が出自とされます。
平安末期の931年(1025年とも)、日奉宗頼(ひまつり の むねより)が、武蔵国司となって、日野に入ったのが始まりです。
日奉宗頼は、任期満了でも京に戻らず、豪族化した日奉氏は、武蔵国府の西側に勢力を拡げたので西党と呼ばれ、平山氏、田村氏、立川氏、由比氏、由木氏へと分かれて、秋川流域を支配して行きました。
特に、平山季重が、鎌倉に入った源頼朝の平家討伐に加わり、熊谷直実と先陣争いをした一ノ谷の戦い、奥州征伐などで功績を残しています。


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戦国時代に入ると、滝山城大石定久も、戸倉城に移って隠居して、小田原城北条氏康に従ったのと同じく、平山政重も、扇谷上杉氏を破った北条家の軍門に下りました。
滝山城に入った北条氏照の家臣として、檜原衆を率いた平山氏重、幸神屋敷の館主・平山綱景(平山善九郎)の兄弟が見受けられます。
また、青梅藤橋城の平山光義も、同族のようです。

あと、1569年、三増峠の戦いのあと、1570年6月に、御嶽城の平沢政美(平沢豊前守政実)が、武田氏に離反したとあります。
ただし、1571年、北条氏康の死後、北条氏政は、武田信玄と同盟し、御岳城は北条氏に返還されたようです。

檜原城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めでは、北国軍の前田利家上杉景勝らが攻め寄せたともあります。
八王子城が落城した際に、八王子城の城代を務めていた横地吉信(横地監物)が、檜原城まで山伝いに逃れたと言う話があります。
そして、檜原城主・平山氏重(平山長寿)や残党らと、檜原城にて籠城しましたが、落城しました。
なお、横地吉信は、檜原村に落ち延びる途中に切腹した、または、平山氏重の子・平山氏久と一緒に、浅間尾根を辿って奥多摩の小河内に落ちていったなど、諸説あります。
平山氏重の弟・平山綱景(平山左衛門尉綱景)は、八王子城・太鼓郭を守備していて総攻撃を受け討死しています。


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いずれにせよ、平山氏重は僧侶になったとも、城下の下千足「かくれ岩」にて自刃したともあり、平山氏一族は滅亡・没落しました。

檜原城の戦い

1590年、八王子城代だった横地景信は、豊臣秀吉の小田原攻めの際の八王子城落城時に、大石照基に逃がされ、檜原城主・平山氏重の元に落ち豊臣勢に抵抗を続けたとされる。
平山氏重の弟・平山綱景は八王子城太鼓郭を守備して既に討死している。
檜原城の必殺の石落としは十兵に値すると「一石十兵の檜原城」と讃えられた堅固な城であったが甲斐方面に向けての守備構造であり、東から攻めた豊臣勢の大軍には太刀打ちできなかったとされる。
当時、圧倒的に優勢な豊臣勢に包囲され無血開城した北条勢の城も多かった。
そして、7月に入ると小田原では開城に向けた交渉がされ7月9日には北条氏政や北条氏照も小田原城から出ていたが、それでも檜原城主の平山氏重は徹底抗戦をし、城下の北の千足にあった「千足のかくれ岩」で悲壮な自刃を遂げる。


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横地景信と平山氏重の子・平山氏久は浅間尾根を辿って小河内に落ち、檜原城は7月12日落城した。
前日の7月11日には北条氏政や北条氏照が切腹(介錯は弟・北条氏規)した日でもあった。
その後、横地景信は更に逃亡を図るが、重傷を負っていた横地景信は蛇沢と呼ばれる地で自刃。深傷の為に動けなくなったようだ。その地には横地社が残る。
武蔵・西党一族で、平家物語などの軍記物にも活躍が描かれている鎌倉武士・平山季重を祖とする平山氏はこれに没落したが、平山氏久は僧となって落武者狩りを逃れ奥多摩に潜伏し、のち子孫が北檜原の茗荷平を開拓したと言う。

交通アクセス・登城

登城する場合には、麓の吉祥寺の境内(裏手の墓地)から、ジグザグの急な登山道が伸びている模様。
駐車場も、その吉祥寺参拝者駐車場を利用できるようですが、特に土日は法要などもあるため、自粛したいところ。
檜原村役場の駐車場(無料)に止めても良いでしょう。


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電車・バスの場合には、JR武蔵五日市駅から、西東京バス(藤倉行き・数馬行き)乗車して、所要20分、本宿役場前バス停下車して5分となります。
今回は、真夏で外気温も、この年、最高の34℃を越えたため、登城は断念致しました。
登城後の帰り道では「瀬音の湯」で汗を流すのも一考です。
このあと、武蔵・戸倉城に向かいました。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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