武蔵・高取城
武蔵・高取城は埼玉県入間郡越生町越生にある山城。
別名は越生要害山城、りゅうがい山、武蔵・高取山城。
標高は170m、比高は80mほどか?
高取城と言うと奈良の大和・高取城が有名なので混同しないように注意が必要。
越生有弘の子である越生有高が、高取山に館を構えたともある。
しかし、その場合、鎌倉時代だと考えられるため、こんな高い場所に屋敷を置いて住むとは考えにくいので、越生神社の場所に館を構えたような印象も受ける。
新編武蔵風土記稿によると南北朝時代、越生氏は足利尊氏に味方していたようで、1338年、越生四郎左衛門なる武将が南朝の北畠顕家(きたばたけ あきいえ)を討ち取る手柄をあげたと言う。
その頃には、詰め城として武蔵・高取城も機能していた可能性がある。
ただし、越生四郎左衛門なる武将がどのような人物だったのかは伝わっていない。
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登城口だが越生神社の本殿裏からハイキングコースが伸びており、徒歩10分くらいで武蔵・高取山に登れるようだ。
戦国時代まで機能していたようだが、誰が城主だったのか?などは不明。
越生氏じたいは室町時代1480年代くらいまで見られるが、その後は歴史に現れない。
太田道灌が活躍している時期に重なる。
交通アクセス
越生氏館も高取城も「越生神社」が目印となる。
越生駅から約550m、徒歩10分くらいで越生神社に到着できる。
越生神社の駐車スペースの場所を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
道路のずっと奥の方にあると言う感じ。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
未確認だが越生神社に公衆トレイもあり。
・越生氏館(越生館)のちょこっと解説~越生有行の本拠地
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