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掛川古城のちょこっと解説~朝比奈泰煕が築いた掛川城の古い部分

掛川古城

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掛川古城とは

掛川古城は静岡県掛川市掛川にある平山城(標高約50m、比高約20m)で、子角山(ねずみやま)、別名・天王山に築かれており天王山城とも呼ばれる。
古くから砦として使われていた可能性があるが、文明年間(1469年~1486年)に今川義忠の命を受けた朝比奈泰煕が掛川古城を築いた。
すぐ南にある掛川市立第一小学校あたりに屋敷を構えていたものと推測する。


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「古城」と言う名がつくくらいなので、同じ高台の西側には通常「掛川城」と呼ばれる城がある。
例えば、名古屋城も古くは那古野城として小さな城であったがその後拡大されて同じ敷地内に古城の部分と新しい名古屋城の部分がある。
もちろん、江戸城も古い古城部分と新しい部分があるし、三河・岡崎城も最初は東岡崎駅近くに岡崎城(平岩城)を築いていたるが、そこを岡崎古城とは呼ばず明大寺古屋敷と言う。
そのため、掛川城もわざわざ古城と分ける必要が無いと感じ、掛川天王山城で充分だと思うが、一般的に掛川城と掛川古城とわけて紹介することが多いようなので、当方もそれにならいたい。

掛川古城

ちなみに朝比奈氏は、鎌倉時代の三浦氏である和田義盛の子である朝比奈義秀を祖とする三浦一族。
朝比奈泰煕(あさひな-やすひろ)は、掛川古城主となり、続いて朝比奈泰能(あさひな-やすよし)の頃には浜名湖の西にある宇津山城まで進出し今川家の領土拡大に貢献している。
そして、1513年には現在の天守がある掛川城へと発展したと考えられているようだ。
1549年、岡崎城主・松平広忠が横死すると、朝比奈泰煕が三河・岡崎城の接収も担当した。

掛川古城

桶狭間の戦い今川義元が討たれると、1568年、徳川家康が今川氏真が籠城した掛川城を攻撃。
この時、徳川家康が掛川古城の部分を本陣(陣城)として使用したと言う説もある。
しかし、僅か200mほどしか離れておらず歩いても2分の距離。
夜襲でも受けると大変危険であり、ちょっと近すぎるので本陣をこんな近くに置いたとは到底思えない。(攻略の最後の段階で短時間入った可能性はあるかも知れないが・・。)

江戸時代に入ると、1648年(正保5年)、掛川城主・北条氏重が入り、掛川古城跡に徳川家光を祀った龍華院・大猷院霊屋を建立した。

龍華院・大猷院霊屋

そのため、現在の掛川古城址には天王山・龍華院があり、裏側には土塁も認められる。
と堀切があります。また南麓にある掛川市立第一小学校が居館跡とされる。


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最後、急で細い坂道をグッと登って左折する必要があるが、龍華院駐車場を無料で利用できるのはありがたい。

掛川古城

徳川家康の側室で2代将軍・徳川秀忠の生母「西郷局」(お愛)は、掛川で愛されている女性で、生誕470年を記念し、掛川古城跡に石碑も建立された。

西郷局(お愛)

駐車場の入口などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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