徳島県

板西城と赤沢宗伝~阿波の三好家を支えた実力者

板西城

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板西城(ばんざいじょう)は、徳島県板野郡板野町古城ににある平城です。

築城年代は1177年ともされますが、平安時代末期から鎌倉時代の初期に、新居見城を居城としていた近藤六親家が築いたと伝わります。

この近藤六親家は、なになに家と言う事ではなく、武将の名前で、近藤親家とも表現されることがあります。
近藤六親家(近藤親家)は、阿波国の豪族・麻植為光の子で、中納言・藤原家成の養子となった藤原師光(西光)の6男です。
藤原師光は後白河法皇に仕えると「第一の近臣」と呼ばれた実力者で、平家打倒にも加わりましたが、平清盛に捕縛されて処刑されています。


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なお、1185年、屋島の戦いの直前に、源頼朝が勝浦尼子浦(小松島市)に上陸した際に、平家が籠城する屋島まで道案内をしたのが、近藤六親家(近藤親家)とする説があります。

近藤六親家(近藤親家)には子がいなかったため、赤沢宗定(赤沢兵庫頭宗定)を養子としました。

この赤沢氏は、清和源氏小笠原長経(1179年~1247年)の二男・小笠原清経が、伊豆守となって伊豆国赤沢郷を領し、赤沢氏と称したことが始まりだとされています。
伊豆高原に近い、ルネッサ赤沢があるあたりですね。
しかし、小笠原家が四宮氏を滅ぼし、早い段階で小笠原氏の拠点である信濃に戻ったようで、塩崎城・赤沢城・稲倉城・茶臼山城・伊深城などでは、城主として赤沢氏の名が見られます。
その小笠原一族であろう赤澤宗定は、阿波に移って板西城になった訳ですが、子ができなかったようで、のち阿波守護である小笠原氏の一族が赤沢家を継いだようです。

赤沢宗伝

戦国時代には三好義賢の婿である小笠原宗伝が板西城主となっています。

板西城

阿波小笠原氏と推測できる小笠原宗伝は、三好長慶の弟・三好実休に仕え、板西城に入ると断絶していた同じ小笠原一族である赤沢姓に改名し、赤沢信濃守宗伝と称しました。

この赤沢宗伝(あかさわ-そうでん)は、犬伏城の犬伏左近、椎本城の坂東紀伊守、七条城の七条兼仲と七条孫四郎も、矢武城の赤沢美濃守、新居城の赤沢鹿ノ丞(100貫)とも関係ある一族とされています。
他の大寺城・大寺松太輔、西分城・新開右近、下庄・阿部采女正(うねめのかみ)、河内城(100貫)・安芸宗長、高輪城・高輪出羽守などは「赤沢家十二人衆」と呼ばれました。

安芸備中守の子である安芸飛騨守は、赤沢宗伝(赤沢信濃守宗伝)の娘と結婚しました。
この安芸飛騨守、赤沢出羽守、坂上備前守の3名は重臣で「板西城三人衆」と呼ばれており、このように三好家の中でも赤沢家は3000貫と一大勢力となっていたようです。

1562年、久米田の戦いにて、三好実休が狙撃されて討死すると、上桜城主の篠原長房、木津城主の篠原自遁と共に、赤沢宗伝は出家し、三好実休の子・三好長治の重臣として補佐しました。

1573年、三好家を支えていた篠原長房が主君の三好長治、十河存保、阿波守護・細川真之によって上桜城の戦いにて自刃します。
この時、篠原長房と親交があった赤沢宗伝は、板西城の攻撃を受けました。

そのため、赤澤宗伝(小笠原相伝)は・・

紫雲(篠原長房)の討伐は以っての外だ。
忠節な武士を討つ事によって三好の天下も終末が近い。

と嘆いて、板西城から高野山へ入ると3年間篭ったと伝わります。

結果的に、1576年、三好長治は細川真之と争って討死し、十河存保が三好長治の跡を継いで勝端城に入り、赤澤宗伝は板西城に復帰した模様です。

1582年、長宗我部元親が三好存保(十河存保)の勝瑞城をせめて激戦となった中富川の戦いでは、板西城の赤沢宗伝(赤沢信濃守宗伝)は2000を率いて奮戦しましたが、十二人衆筆頭・赤沢鹿之丞、犬伏左近、板東紀伊守、七条孫四郎らと討死しました。
赤沢宗伝は、草鞋の紐が切れたところを、敵に討たれたと伝わります。

討死した赤沢信濃守とその将兵、東紀伊守・七条兼仲らは、板西城将兵の墓として、那東(板野町)の愛染院に祀られているそうです。
愛染院は、四国八十八箇所霊場(第三番札所)金泉寺の奥の院となります。

七条兼仲は三好義賢の危機を救ったと言う事で、三好家の家臣となり領地を与えられました。
安芸飛騨守は、板野町犬伏にて帰農しています。


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現在、板西城跡は宅地化や農地となっており遺構はなく、正確な位置や規模も不明です。
ただし、古城・城ノ内・城ノ西という地名が残されており、名残りがあります。
そして、天満神社の近くに案内板がありますが、その場所は当方のオリジナル地図でもわかるようにしてあります。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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