山梨県

甲斐・白山城の解説~武田発祥の地にある本格的な山城

甲斐・白山城

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甲斐・白山城とは

甲斐・白山城(はくさんじょう)は、山梨県韮崎市神山町鍋山にある山城で国の史跡。
山の中腹に白山権現があることから白山城と呼ばれますが、別名は鍋山砦、鍋山城、韮崎・白山城、甲斐国志の中では要害城とも記載されている。
標高は657m、比高120mほどになる。

甲斐・白山城

最初の築城は不明だが麓に現在の登城口にもなっている甲斐武田氏の発祥の地・武田八幡神社がある。
平安時代末期の領主である武田信義(たけだ のぶよし)の武田信義館跡も武田郷にあることから、詰め城として白山城を利用したとも推測されている。

甲斐・白山城

戦国時代になり、甲斐源氏庶流である浅利信種(八代信種)が一時、鍋山城を守備したと言う記録があり、甲斐・白山城であると考えられる。ちなみに1569年、三増峠の戦いにて浅利信種は討死した。
しかし、その前から?か、青木信種の次男・青木信明が巨摩郡山寺郷に入って山寺信明を名乗り領地にしていた模様。
山寺信明は武田信虎武田信玄に仕えたが、永禄4年川中島合戦(第4次川中島の戦い)にて武田信繁と共に討死した。


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その子・山寺信昌は武田勝頼のもと、1581年上野・前の城攻めにて武功を上げたと言う。
武田氏滅亡後は、武川衆らと徳川家康に服属し、鍋山郷100貫文の本領を安堵されている。
<注釈> 折井次昌・米倉信継・青木時信ら武川衆17名も本領安堵。
徳川家康が新府城にて籠城した天正壬午の乱では、武川衆らは甲斐・白山城を守備して修築工事を行った模様。

甲斐・白山城

山寺氏の子孫は、甲府城番など徳川家の旗本として続いた。

甲斐・白山城跡は、山頂付近などに曲輪、土塁、横堀、堀切、竪堀などの遺構がよく残っているとの事。
南烽火台(ムク台烽火台)だけでなく、北には烽火台など物見台も配置されたていた。

交通アクセス

甲斐・白山城へのアクセス・行き方は、JR中央本線・韮崎駅からタクシーで10分(3.5km)。
韮崎駅から歩くと武田八幡宮の入口まで、約3.5km徒歩50分といったところ。
駐車場は武田八幡宮の無料駐車場を利用可能なのと、公衆トイレもあるので助かる。
武田八幡宮の本殿左側から甲斐・白山城に繋がるルートがある。
動物除けの柵「防獣ゲート」を自分で開け閉めして、進入するような感じになっている。

甲斐・白山城

他にも南の白山神社からの登山道もある。
なお「クマ注意」のため、それなりの登山装備での登城がお勧め。

駐車場の場所などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお試し頂きたい。

見学所要時間は約60分程度。
氷点下であり、写真のとおり空模様も悪かったため、登城は断念した。


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また、帰りには2015年にノーベル医学生理学賞を受賞した大村智先生が私財を投じて開湯した日帰り温泉「白山温泉」で汗を流すのも良いだろう。
新府城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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