静岡県

伊豆・清水氏館(能登殿屋敷)~清水康英が隠棲した地

伊豆・清水氏館

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伊豆・清水氏館とは

城名 : 清水氏館
場所 : 伊豆国
形態 : 居館
遺構 : なし
築城年 : 戦国時代1590年
指定文化財 : なし

伊豆・清水氏館

伊豆・清水氏館は、静岡県賀茂郡河津町川津筏場にある平城(館跡)で、清水能登守が住んだことから、能登殿屋敷とも言います。
清水能登守は、戦国時代に小田原城の北条氏に仕えた武将・清水康英(しみず やすひで)であり、伊豆・下田城主としていず水軍を
指揮していました。

天正18年(1590年)頃に清水康英によって築かれた。 天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で清水康英は下田城に籠城して秀吉軍と戦ったが、五十日にも及ぶ籠城戦の末に降伏し開城した。康英は当初沢田にある林際寺に謹慎し、のちに筏場の三養院へ移り隠棲したという。翌天正19年に康英は没した。

天正18年(1590年)4月、豊臣秀吉の小田原ぜめの際に、伊豆・下田城は、長宗我部元親九鬼嘉隆脇坂安治らに攻撃されます。
約50日籠城しましたが、脇坂安治・安国寺恵瓊らと起請文を交わし、開城降伏しました。


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そして、下田城から退去した清水康英は、林際寺(河津町沢田)へ一時入ると、家臣・高橋丹波守らに籠城の苦労をねぎらっています。
その後、菩提寺・三養院(河津町川津筏場)の東隣に屋敷を構えて、隠棲したのが、この伊豆・清水氏館と言う事になります。

現在の伊豆・清水氏館がある場所は、畑や民家になっており、遺構はありませんが、戦国時代にも防御性がある城であるとは言えない状態だったことでしょう。

翌年の1591年6月2日、清水康英は亡くなっており、三養院の墓地には、清水能登守記念墓もあるようです。


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子の清水政勝(しみず まさかつ)は浪人しましたが、1600年、結城秀康に仕えて下総で300石となりました。
なお、清水政勝の年齢は60歳ほどだったともあります。

伊豆・清水氏館の駐車場はありませんが、西側の佐ヶ野渓谷に、佐ヶ野渓谷遊歩道駐車場がありますので、利用できそうです。

平維盛関連となる紀伊・清水氏館(和歌山県)もありますので、混同しないよう、注意が必要となります。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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