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伊豆・金山城とは
伊豆・金山城(きんざんじょう)は、静岡県伊豆の国市神島にある山城で、標高342m、比高280mです。
別名は、神益城(かんますじょう)、神餘城(みかやますじょう)とも言い、岩肌が剥き出しで、大変堅固な山城に見えます。
もともとは、海底火山だったようで、伊豆半島が日本列島にぶつかって、隆起した山となります。
最初の築城は、1361年で、伊豆国守の畠山国清とされます。
畠山国清(はたけやま-くにきよ)は、足利氏の一族である畠山氏で、足利尊氏に従い鎌倉幕府討幕に功があり、和泉守護、紀伊守護を務めていました。
そして、1353年、室町幕府を起こした足利尊氏が、関東地方の統治の鎌倉公方として、次男・足利基氏を送ると、補佐する関東管領に、畠山国清が任じられて、伊豆守護となります。
しかし、室町幕府2代将軍・足利義詮や、鎌倉公方・足利基氏と、対立したため、関東管領は上杉憲顕に変えられてしまい、畠山国清は失脚して、五百騎を引き連れ伊豆に戻りました。
この時、敵襲に備えて、伊豆・三津城、伊豆・金山城、修善寺城の3つを整備したと考えられます。
しかし、伊豆の豪族からも見離れされた畠山国清は、当初、伊豆・金山城にて籠城したようです。
そこに、足利勢20万とも言う大軍が来襲すると、修善寺城に撤退して、最後の籠城を行いました。
その後、伊豆・金山城は、使われなかったようですが、戦国時代のものと推測される土塁や堀切りなどの遺構があるようです。
もしかしたら、1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、豊臣勢が、改修したのかも知れません。
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周辺の山も含めて、ハイキングコースが整備されており、30分ほどで到達できる山頂からは、富士山や大仁を一望することができるようです。
狩野川沿いに岩盤も露出している絶壁の山であり、ロッククライミングの名所としても知られます。
昔、観光バスのガイドさんが「あそこ、登っている人、いますよ」「うそです」と、驚かしたりする、いわば、伊豆の見どころです。
大仁(おおひと)のあたりの、1998年に開通した国道136号バイパス有料道路「修善寺道路」を運転する際には、毎回、気になっていたのですが、運転中は撮影もできません。
そのため、心の中に秘めていた山城でして、20年以上の悲願と申しましょうか、助手席者支援にて、ようやく、写真1枚だけ撮影するに至りました。
ちなみに、山頂へ向かうハイキングコースは、読売の長嶋茂雄さんが、現役時代の1967年から7年間、自主トレで「山ごもり」と称した「長嶋茂雄ランニングロード」になっています。
そのような経緯もあり、阪神ファンのワタクシは、登山は自粛致しました。(^-^)
交通アクセス
伊豆箱根鉄道田京駅より徒歩約30分で、麓の登城口です。
また、城山ハイキングコース入口付近の道路の路肩に、数台程度の、駐車できるスペースがあります。
ただし、墓地の駐車場は、墓参の地元の皆様の迷惑になりますので、勝手に止めることがないように、したいところです。
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あと、北側をとおり林道の途中にも少しだけ駐車スペースがあるようでして、269m地点の西側からだと、比高は70mほどで、頂上まで20分~30分ほどで到着できる模様です。
当方のオリジナル地図関東では、その林道の駐車場付近をポイントしておきます。
ただ、ハイカーが多い山城ですので、土日祝は狩野川側に止めた方が、良いかもしれません。
なお、伊豆中央道と修善寺道路は2023年11月に、無料化される見込みです。
・修善寺城の解説~関東管領・畠山国清による最後の抵抗
・伊豆・江間荘「江間氏館」の解説~江間四郎・江間次郎・江馬輝経など江間氏を検証
・韮山城 激戦を物語る煙硝曲輪など
・柏久保城(柏窪城)の解説~北条氏と狩野氏の攻防
・伊豆・狩野城【工藤茂光】(狩野茂光)と最後の城主である狩野道一
・関東の役職である鎌倉公方・関東管領・古河公方などを解説
・武蔵・足利基氏館(旧足利基氏館跡)の歴史解説~鎌倉公方・足利基氏とは
・城めぐりにも便利なオリジナル関東地図
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