福井県

越前・亥山城~一向一揆の大将「杉浦玄任」も

亥山城

越前・亥山城(いぬやま-じょう)は、別名を土橋城(どばし-じょう)、居山城とも言う平城で、福井県大野市日吉にあります。

築城年は不明ですが、越前・大野は湧き水も豊かなところで、人口もある程度あったことから、大野の城として、延元4年・暦応2年(1339年)には、南朝に味方した堀口氏政(堀口兵部大輔氏政)が亥山城の城主だったようです。

堀口氏政は亥山城にて、足利勢に対抗しましたが、新田義貞が討たれても、翌年には南軍の一斉蜂起に500騎にて加わっており、足利勢を撃退しました。
しかし、頼みだった平泉寺の援助を得られず、越前守護・足利高経(斯波高経)に攻撃され、城を捨てて畑時能が篭った鷹巣城へと逃れました。
そのあと、斯波高経の5男・斯波義種(しば-よしたね)が、亥山城を任され、大野斯波家の初代となりました。





この斯波義種は分家ながらも、加賀守護・越前守護・若狭守護・信濃守護・山城守護も兼ねており、栄華を誇ります。
斯波義種と千秋高範の娘の間に生まれた嫡男・斯波満種(しば-みつたね)も加賀守護職を継ぎましたが、室町幕府4代将軍・足利義持の勘気を蒙り失脚して高野山に蟄居し、没落しました。
そのため、越前は斯波氏の被官であった朝倉氏が力を付けていくことになりますが、その前に、斯波家臣の千福大輔(せんぷく-だゆう)や、斯波義種の頃から被官だった二宮氏が、大野郡を争い、二宮信濃入道が亥山城に入った可能性もあります。

朝倉孝景(あさくら-たかかげ)が越前平定に向けて行動開始すると、土橋城の二宮左近将監と弟・二宮駿河守は攻撃を受けます。
井野部の戦いで敗れると、二宮左近将監は自刃しましたが、その後も、二宮一族は抵抗したようです。
しかし、亥山城はついに落城して、朝倉家は越前を統一しました。

そして、越前・大野には朝倉家による「大野郡代」が置かれて、朝倉経景(あさくら-つねかげ)が入ったようです。
戦国末期には朝倉景鏡(朝倉式部大輔景鏡)が亥山城となりました。

朝倉景鏡(あさくら-かげあきら)に関しては、下記のサイトにて詳しく明記させて頂いておりますので、ここでは省きます。

朝倉景鏡~朝倉家を最後に裏切った筆頭一族

朝倉家滅亡後は、土橋信鏡と名を変えて、亥山城の所領安堵となっていた朝倉景鏡ですが、越前一向一揆により、最後は平泉寺にて戦い討死しました。
こうして、越前全域を一向宗門徒が支配すると、本願寺から杉浦玄任(すぎうら-げんにん)が大野郡司に任命されて、亥山城(土橋城)を居城としています。
その後、朝倉尹景(あさくら-ただかげ)と言う武将が城主となった可能性もありますが、よくわかりません。

杉浦玄任

杉浦玄任(杉浦法橋、杉浦壱岐守法橋)は、本願寺坊官で、1567年の下間頼総を大将とした加賀一向一揆にも参加しています。
1573年8月には、加賀・越中の境目付近の朝日山城にて、大量の鉄砲を駆使して、上杉謙信の軍勢をも迎撃しています。

亥山城主となると、水を確保するため門徒を動員して湧水池を掘り下げ、現在でも豊富な水量を誇る「本願清水」(ほんがんしょうず)を完成させています。
この水は、亥山城の堀にも引き込まれていたようです。

越前・亥山城

天正3年(1575年)に、織田勢の金森長近原長頼(原政茂・原正則)が美濃から越前に攻め入ると、杉浦玄任は一向一揆を率いて、鉢伏山城にて迎え撃ちました。
しかし、織田勢の大軍を目にした一揆勢は、裏切りや逃亡者が相次いで大敗します。
そのため、杉浦玄任は敗死したとも、加賀に戻ると、責任を取らされて、金沢御坊で処断されたとも言われています。

こうして、大野郡のうち3万石が金森長近に与えられ、戌山城に入りました。
戌山城(いぬやまじょう)も、越前・大野城近くにある山城ですが、このページでご紹介している平城の亥山城とは読み方も同じで、漢字も似ていることから、混同しないよう注意が必要です。
一部では、金森長近が最初入ったのは、平城のこの亥山城としている資料もありますが、山城の方の戌山城だと存じます。

こうして、越前大野城が完成すると、亥山城は使われなくなったようです。

亥山城は現在の日吉神社境内一帯にあったとされ、比高10m程の微高地になっています。
日吉神社への参道脇に、標柱があり、その隣の池は、かつての水堀の名残だとされています。





交通アクセス

亥山城への行き方ですが、JR九頭竜線(越美北線)の越前大野駅からは、歩いて5分ほどと近いです。
ただし、駐車場は見当たりませんでした。
日吉神社の参拝用駐車場があるらしいのですが、場所が分からずじまいです。
標柱がある場所は、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。
朝倉義景墓所や、越前・大野城とセットでどうぞ。

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この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
越前
著者コメント
明確な遺構はありませんが、雰囲気は残っています。 ただ、駐車場がないので、ゆっくり見学することは断念しました。

 

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