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周防源氏武田氏屋敷の解説~武田宗慶とは

周防源氏武田氏屋敷

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周防源氏武田氏屋敷とは

周防源氏武田氏屋敷(すおうげんじたけだしやしき) は、山口県岩国市玖珂町欽明路(きんめいじ)の旧山陽道の沿いにあり、近くに、欽明寺があります。
最初の築城は戦国時代の天文年間(1532年~1555年)頃で、武田宗慶(武田刑部少輔宗慶)が入りました。
武田宗慶(たけだ そうけい)は、安芸武田氏の当主である武田光和の子で、1524年頃に生まれました。
母は、熊谷氏の娘とされますが、武田宗慶は庶子扱いであり、幼い頃は武田小三郎と称しました。


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安芸武田家では、家臣の三入高松城主である家臣の熊谷信直が、領土問題から離反します。
佐東銀山城主の父・武田光和は、品川信定、伴繁清、香川光景、己斐直之、山田重任、温科家行、飯田義武、板垣繁任などを従えて、三入高松城を攻撃していましたが、熊谷信直は、熊谷直続、末田直忠・末田直久、岸添清直、水落直政らと、毛利家の支援を受けて抵抗を続けていました。
そんな中、1540年6月9日、父・武田光和が死去しました。享年37。

兄に、武田小太郎、武田小次郎がいましたが、いずれも早世していたようです。
そのため、後継者としては武田小三郎(武田宗慶)の順番でしたが、庶子であったため家督を継ぐ事ができずにいます。

周防源氏武田氏屋敷

なおかつ、同じ武田一族で若狭武田氏出身の武田信実が、従兄弟の武田信重と争いの末、安芸武田氏9代となりました。
しかし、安芸武田家は、家臣である品川左京亮と香川光景らの争いにて内部崩壊し、大混乱となったため、武田信実は、佐東銀山城を捨て、月山富田城尼子晴久を頼りました。

1540年9月、尼子晴久は、毛利元就を討伐のため安芸・吉田郡山城を攻撃しますが、このとき、武田信実は、尼子氏の重臣で牛尾城主の牛尾幸清と共に、佐東銀山城を奪還しました。
しかし、尼子勢が撤退すると、牛尾幸清と武田信実も、出雲に引き返します。
佐東銀山城では、かつて後継者争いをしていた、武田信重が兵300にて籠城して、毛利に対しました。


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この勢力に対抗するため、安芸・八木城の香川光景は、隠棲していた武田小三郎を探し出して、次期当主へと画策し、毛利元就の支援を取り付けます。
こうして、天文9年(1540年)11月、武田小三郎は義母・八重女(吉川興経の妹)と一緒に、毛利家によって周防国玖珂にある欽明路峠付近に匿われたと言う事になります。
その場所が、周防源氏武田氏屋敷跡と考えてよいでしょう。

周防源氏武田氏屋敷

翌年である1541年3月、武田光広(武田信重)は、毛利勢の攻撃を受けて自刃したため、武田小三郎が当主にと言う話も、立ち消えとなったようです。

武田小三郎は、その後も、周防源氏武田氏屋敷にて静かに暮らしたようですが、俗名は不明で、のち出家して武田刑部少輔宗慶と称しました。
毛利元就の元就の影武者と言う、重要な役割も果たしており、毛利勢が鞍掛山城の杉隆泰を攻撃した際には、道案内も務めたとようです。
正室は安国寺恵瓊の娘とされ、子に武田光信がいます。
武田宗慶(武田刑部少輔宗慶)は、1597年に死去。享年74。
周防源氏武田氏屋敷跡の場所に墓所もあります。

周防源氏2代目の武田光信は、母が安国寺恵瓊の娘だったことからか、1615年5月8日、大坂城が落城した際に、豊臣秀頼に殉死しました。享年57とも。

<注釈> 安国寺恵瓊は、武田信実の従兄弟である武田信重の子とされる。


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以後、周防・武田氏は、毛利家に仕えていますが、ずっと、領地も変わらなかったようで、江戸時代の文政元年(1818年)、武田宗左衛門のとき、すく脇に「稽古屋敷」が設けられました。
この文武両道の稽古屋敷は、のちの呉武田学園(呉港高等学校・武田中学校・武田高等学校)と言う学校法人へと発展しています。

周防源氏武田氏屋敷への交通アクセスですが、JR岩徳線の欽明路駅から、約1km、徒歩15分くらいの距離です。
道のわきに案内がありますので、小さな小川沿いを10mほど進むと、館跡となります。

周防源氏武田氏屋敷

道路の路肩が広くなっているところがあり、5分だけ停車させて頂きました。
このあと、鞍掛合戦千人塚へ向かいました。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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