能登・野崎城(のざき-じょう)は、 石川県七尾市能登島野崎町の「能登島」の東端にある平山城ですが、富山湾に面していることから水軍の運用があった可能性もあり、海城と言っても良いでしょう。
野崎砦とも呼ばれる城主は天野氏と伝わり、南北朝時代に築城されたものと推測されているようです。
ただ、別名は、畠山砦とも言うらしいので、能登守護の畠山氏が命じて築城された可能性もあるでしょう。
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戦国時代に入ると畠山御屋形衆である天野氏の持城ともあり、畠山家最後の当主である畠山義春が、能登島の海上交通の抑えとして、改修したともされ、同じ能登島にある二穴城とも連携を取った模様です。
天野氏と申しますと、遠江・犬居城の天野景貫が、一番有名かも知れません。
能登の天野氏と申しますと、天野政景の後裔である天野遠政が、南北朝争乱にて足利尊氏に従って戦功を挙げ、能登の地頭に任ぜられました。
天野遠政の子は、天野慶景(あまの-のりかげ)で、畠山基国に従っており、畠山譜代家臣となります。
畠山義統・畠山義元に仕えた武将では、天野彦次郎(あまの-ひこじろう)や、天野俊景(あまの-としかげ)がいます。
その後は、1576(天正5)年に、上杉謙信が能登へ侵攻した際、天野加賀守が「田鶴濱館」を守備したとあります。
田鶴濱は、和倉温泉から南西の方角にあります。
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麓に館があったものと推定されますが、その地は、旧野崎小学校の跡地となっており、現在は野崎コミュニティーセンターが設置されています。
その校門付近に、駐車スペースがあり、下記の木製案内板がありました。
予定外の訪問だったため、登城までは致しませんでした。
なお、野崎城と申しますと、佐渡・野崎城 、河内・野崎城もありますので、注意が必要です。
・二穴城 能登島の海城
・穴水城 能登にある長氏の本拠地
・七尾城 畠山義統と畠山義総 上杉謙信との七尾城の戦い
・日本全国のお城マップ(オリジナル)
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