越中・朝日山城(あさひやま-じょう)は、富山県氷見市幸町にある平山城で、別名は氷見城と言います。
標高は48m、比高35m、頂上部は朝日山公園として公園整備されており、眼下には藤子不二雄Aさんの氷見市潮風ギャラリー、その先には富山湾を望みます。
なお、朝日山城は、他にも出羽・朝日山城、加賀・朝日山城、駿河・朝日山城、山城・朝日山城、肥前・朝日山城とたくさんあるので、混同注意となります。
氷見の朝日山城の最初の築城は南北朝時代と考えられていますが、築城者などは不明です。
戦国時代には、神保氏に従っていた鞍川氏の拠点とも推測されますが、不明瞭なところが多いです。
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鞍川氏(くらかわ-し)と申しますと、鞍川城主として知られますが、増山城主・神保氏の重臣でした。
鞍川城があった場所は、北西に1kmほどですので、越中・朝日山城は、詰の城と見てよいでしょう。
鞍川清房・鞍川清経の親子は、神保長職から謀反し、能登守護である七尾城の畠山義続に寝返りました。
しかし、1550年、遊佐続光・温井総貞ら能登七頭は、守護・畠山義続に不満が募り「七頭の乱」となります。※諸説あり
遊佐続光・遊佐宗円・伊丹総堅・平総知・三宅総広・長続連・温井総貞らの反乱で、畠山義続は七尾城にくぎ付けとなる中、遊佐続光は鞍川清房・鞍川清経を味方に引き入れて、11月24日、能登に進軍しました。
そして翌日25日、天神河原に布陣していた末吉城の平重冬勢に鞍川勢と遊佐勢が加わっています。
そこを、七尾城は攻撃したようで、鞍川清房・鞍川清経の2人は討死し、鞍川氏は滅亡した模様です。
ただし、遊佐続光がの温井総貞と争いとなった、1553年の大槻一宮合戦にて、鞍川清房・鞍川清経の2人は討死したとする説もあります。
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その後、氷見を支配したのは菊池武勝ですが、阿尾城を本拠にしています。
現在、越中・朝日山城跡は、新朝日山公園として整備されており、下記のような展望台からは、富山湾を望むこともできます。
越中・朝日山城 (氷見城)への交通アクセス・行き方ですが、JR氷見駅から歩くと、約1.6km、徒歩25分といったところです。
大きな駐車場も整備されており、クルマで上がって行けますので、当方のオリジナル地図にて、駐車場入口をポイントしておきます。
・阿尾城 日本海に突き出た要害を前田慶次郎が守備
・七尾城 畠山義統と畠山義総 上杉謙信との七尾城の戦い
・富山城 続日本100名城 神保長職と神保長住
・増山城 攻防が続いた続日本100名城で広大な富山の山城
・日本全国のお城マップ(オリジナル)
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