群馬県

名胡桃城(なぐるみじょう)~名胡桃城奪取事件が発生し小田原攻めに至ることに・・

名胡桃城

名胡桃城とは

名胡桃城(なぐるみじょう)は、群馬県利根郡みなかみ町下津にる山城で続日本100名城(115番)にも選ばれています。

名胡桃城が最初に築かれたのは、1492年となる沼田城主・沼田景久の時代と考えられています。
沼田景久の3男・名胡桃景冬(名胡桃三郎景冬)が沼田城の支城として築城し、その子・名胡景夏が名胡桃城を継承しました。

小田原の北条氏康が関東北部まで勢力を伸ばしてくると、沼田家は北条家に臣従するのか、それても越後の上杉家を頼るのかで家中が乱れます。
ついに1569年には内紛が激化し、沼田顕泰・沼田景義は沼田にいられなくなり、会津の蘆名盛氏のもとへと逃亡しました。





そして、その頃に鈴木重則(鈴木主水正重則)が名胡桃城を与えられたようです。
※各写真はパソコンにてクリックすると拡大します。

名胡桃城

1578年、上杉謙信の死後、御館の乱が発生すると北条家の当主・北条氏政は、弟の北条氏邦を派遣して沼田城を制圧し、猪俣邦憲藤田信吉金子泰清の3名を沼田城に入れて支配を強化させました。

名胡桃城の屋敷があった方向

1579年、上杉景勝との甲越同盟で東上野攻略の切り取り自由(攻略の承認)を受けた武田勝頼は、岩櫃城主・真田昌幸に沼田領への侵攻を命じます。
真田昌幸は、沼田家の内紛に乗じる形で、小川城の小川可遊斉を攻略させると、その勢いにて名胡桃城を落としました。

名胡桃城

こうして、武田家の真田昌幸は名胡桃城を改修して、沼田城攻略の拠点としたのです。
なお、沼田城は、この名胡桃城からも遠くに見える範囲であり、結構、近いことがわかります。

名胡桃城の土塁

真田昌幸は重臣の矢沢頼綱に沼田城を攻撃させると、北条家の金子泰清と藤田信吉らは降伏・投降し、以後、この2名は真田家臣に加わりました。

名胡桃城から沼田城方面を望む展望

1581年になると、上野の女淵城主として復帰した沼田景義(沼田平八景義)が、由良国繁の兵を借りて沼田城を奪回しようと挙兵します。
沼田氏の旧臣・金子泰清らによって、沼田景義は沼田城へ迎えられますが、これは真田昌幸の策略で、沼田城内にて沼田景義は殺害され、沼田家は滅亡に至りました。

名胡桃城からの眺め

1582年、織田勢の大軍が武田領内に侵入して新府城主・武田勝頼が自決したあと、上野一国の領主となった滝川一益の重臣・滝川益重が沼田領を授かります。
しかし、名胡桃城は一貫として、旧沼田家重臣の鈴木重則が城主になっていたようです。

名胡桃城

その後、明智光秀による本能寺の変で、織田信長が横死すると、鈴木重則は沼田城に入った真田昌幸の家臣に加わりました。

その直後、天正壬午の乱となり、和睦した徳川家康北条氏直の間で沼田領の帰属問題が発生します。
苦労して沼田を手に入れていた真田昌幸は、いずれの提案も拒否し、春日山城の上杉景勝を頼りました。

名胡桃城
 
これにより、沼田城や名胡桃城は、北条家によって度重なり攻撃を受けますが、名将とも名高い沼田城主・矢沢頼綱(真田幸隆の弟)がいずれも退けたようです。

名胡桃城

1589年7月、ついに豊臣秀吉が真田昌幸と北条氏直の沼田領争い問題を仲裁します。
徳川家康の信州伊那郡が代替地として真田昌幸に譲られ、沼田城は正式に北条氏直の領地となりました。
しかし、この裁定は中途半端で、利根川右岸の拠点である名胡桃城だけは、真田昌幸に残されると言う内容となります。
沼田城や小川城は北条家のものとなり、小川城には富永又七郎が在城しています。

名胡桃城

沼田城からもほど近い名胡桃城も支配下とならないと、北条家にとってみれば沼田を領したとは言えないだけでなく、沼田城から約5kmしか離れていない名胡桃城は大変目障りです。

名胡桃城

そのため、北条氏邦の重臣であった沼田城主・猪俣邦憲(いのまた-くにのり)が、名胡桃城主・鈴木重則の家臣・中山実光(中山九兵衛実光)を買収します。
北条家からの命であったのか、猪俣邦憲が単独で行ったことなのかは、議論が分かれるところです。
このような争いごとになるのを見越して、豊臣秀吉は名胡桃城を真田家のものとしたとも考えられます。
そして、1589年10月23日、猪俣邦憲は真田昌幸が書いたとする偽手紙を鈴木重則に送って城外へ誘き出した間に、中山実光が名胡桃城を乗っ取りました。

名胡桃城

この中山実光は元々中山城主で、姉妹である中山栄子が、名胡桃城主・鈴木重則の妻となっており、中山城を北条家に追われた際に鈴木重則を頼っていました。

名胡桃城

そんな、中山実光を信じた鈴木重則は書状を受けて上田城へ向かいますが、途中、岩櫃城に立ち寄ったところで、この頃、岩櫃城主だった矢沢頼綱から、そんな事実はないと伝えられます。
だまされたと悟った鈴木主水は、急ぎ名胡桃城に戻りましたが、すでに城は北条勢に占拠されていたと言う事です逸話です。

名胡桃城

鈴木重則は、不覚にも名胡桃城を奪われた自分を恥じ、沼田城下の正覚寺にて自害して果てたとされます。
切腹する場合、通常は座って行いますが、鈴木重則は「立腹」という立ったまま切腹をしたと言う、忠義の武士であったと、正覚寺の記録にあります。

名胡桃城

鈴木重則の子・鈴木忠重(鈴木右近)は、母と共に北条家に捕われましたが、のち解放されると真田昌幸が面倒を見みました
真田昌幸の死後は、真田信之の家臣に鈴木忠重(鈴木右近)の名が見られます

この名胡桃城奪取事件を真田昌幸から聞いた豊臣秀吉は、惣無事令違反(私的な戦を禁止した法律違反)だとして、小田原城攻めの口実を得て、1589年12月13日に小田原攻めの陣触れを出したのです。
もっとも、なかなか上洛して豊臣家に臣従を誓わない北条家に業を煮やしていた豊臣秀吉は、自分が裁決した沼田領の問題を、北条家が反故にしたのに、堪忍袋の緒が切れたと言えるでしょう。

小田原攻めのあと、沼田領は真田昌幸に帰されたため、沼田城主に真田信幸(真田信之)が入ると、名胡桃城は以後、使われなくなり廃城となりました。

名胡桃城への行き方

名胡桃城への行き方・アクセスですが、般若郭が無料駐車場になっています。
下記の地図ポイント地点となります。

名胡桃城の標高は約430mですが、谷下からの比高は約50mで、続日本100名城にも選ばれました。
山城となりますが、上記の駐車場になっている般若郭から、堀をひとつ隔てる程度で、本丸に到達できますので、山に登ると言う感じではなく、トレッキングポールなどは不要で、スニーカー以上でOKです。
見学所要時間は30分といったところで、駐車場脇のレストランのような建物がトイレ付の無料休憩室になっており、資料や自動販売機があります。
ただし、木曜日は空いていません。

しかし、小生が訪れた5月は、平日だと言うのに、駐車場は車で80%埋まっていました。
でも、名胡桃城を歩いている人は皆無でしたので、釣りに来ているのか、登山に来ているのかわかりませんが、名胡桃城に用事が無い方が多数止めているようです。
※大河ドラマの放送開始後、臨時の駐車場もできたと聞き及んでいます。

松姫と同じ「正覚寺」には切腹した、名胡桃城主・鈴木重則(鈴木主水正重則)の墓とされるものがありますが、あまり立派では無く、最近では全く関係ないとされています。

なお、観光でしたら名胡桃城の近くには「ロックハート城」もあります。

【寄稿】日本の首都を決めた–ぐんまの小城

~真田ファンは押さえておきたい「名胡桃(なくるみ)城址」~(群馬県みなかみ町下津)

▼豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけになったのが、当時真田昌幸が領していた上州名胡桃城。
もともと武田勝頼時代に真田昌幸が北条対策に築いた城だ。武田滅亡後は織田の代官として上州に赴任した滝川一益にも真田の支配を認められた。
北条氏上洛を促すために、秀吉は真田に命じ上州沼田領3分の2の領有を北条家に認めたが、北条はこれを不服とし、残る名胡桃領も要求した。

▼秀吉の許可がないまま北条方の沼田城代は名胡桃城を実力で攻め取った。
真田昌幸は豊臣秀吉の手前グッと我慢。
一方で、激怒した秀吉はこれを理由に北条討伐の兵を挙げ、小田原を開城に追い込んだ。

▼北条家改易の結果、徳川家康が東海から関東へ移封され、江戸を居城にするよう命じられた。「関東の連れ小便」の逸話だ。
名胡桃の小城は、日本の首都・東京を決定づけたわけだ。

(プラス寄稿)柳生聡さま

この記事は真田家の館サイトの記事を再編集したものとなります。
ご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

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攻略難易度
初心者向き
旧国名
上野国
著者コメント
北条家滅亡のキッカケとなった城で、見ごたえもなかなかありますし、駐車場からも近いので初心者さまにも最適です。

 

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