神奈川県

相模・磯部城(磯部館) 太田道灌などにも関係する相模原市の城郭・館跡

相模・磯部城(磯部館)

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相模・磯部城(いそべ-じょう)は、神奈川県相模原市南区磯部にある平城(館跡)である。
磯部城の記録では長尾景春の手の者が城主であると記載されているだけで、誰が磯部城の城主だったのかわかっていない。
1476年、上杉顕定の家臣・長尾景春が主君に謀反を起こした際、相模の武士たちは長尾氏に味方して戦ったとされている。
1477年、長尾景春勢であった金子掃部助の拠点として小沢城があったが、その小沢城の支城として急遽磯部城が築城されたと考えられ、翌1478年頃に太田道灌を大将とする関東管領の上杉勢が奥三保を攻めた際に、落城したとされたと伝えられている。
磯部城は2重堀があったとされ、その中心は御嶽神社もしくは能徳寺の付近と伝えられているが、既に江戸時代には遺構は消滅していたようだ。上磯辺に現存する幅約11m、長さ約60mの土塁は附属施設だと考えられているが、明確に残っていないことからも築城途中(未完成)で落城したと言う説もある。

磯部城

現地を訪れてみると、かなり昔からの集落であることがすぐにわかる。

御嶽神社・磯部城

上記写真は御嶽神社であるが、完全に集落の神社といった感じで、どうも館跡であったとは考えにくい。
何しろ、新編相模風土記でも「磯部城跡詳ならず」と、昔でも良くわかっておらず、今でもわからないのは当たり前の話である。
下記地図のポイント地点が、御嶽神社への入口。

1559年の戦国時代には、北条家の津久井衆の中に、野口遠江守なる武将が、磯部に55貫文と、津久井衆の中では上位の知行者として名が見られる。

能徳寺・磯部城

次にもう1つの伝承の地である「能徳寺」に行ってみた。
地図では相模川にかなり近く、川の氾濫なども考慮した昔では、ここに館を構えるのはリスクがあると考えていたのだが、実際に能徳寺を訪問してみると、なんと、南側から一段、約1.5mくらい高いところが能徳寺であり、住宅など少なかった昔には、南方の展望もそこそこあるように思える。
また、相模川の水運も抑えると言う意味では、この立地は良いため、もし、当時の武将であったならば、ここに館を構えてもおかしくないと思え、この能徳寺こそ、磯部館跡だったのかも知れない。

磯部から望む相模川

ちなみに主君を裏切り謀反を起こした長尾氏は、その後、戦国時代、越後の覇者となった上杉謙信(長尾景虎)の先祖一族にあたる。

磯部を車で訪問する場合には駐車場がないので困るが、相模川脇にある、磯部堰すぐそばに小さな公園とトイレがあり、そこに何台か止められる駐車場もある。
また、能徳寺の駐車場をお借りしつつ、能徳寺を訪れるのも良いだろうが、地元の方に迷惑を掛けない様ご訪問頂きたい。

上磯部の土塁

もう1箇所、城の痕跡とも考えられている、磯部の土塁を訪れてみた。
計測してみると標高約39mの相模川の崖からすぐの場所で、崖下の河川敷は標高約36mなので、比高は3mと一応は防御に有利な場所である。

確かに人工的な土塁が、東西へ一直線に伸びているが、その規模から鎌倉時代頃のものと推測できる。
また、案内版の説明によると、北側には更に「堀」が発掘できたと言う。
相模原市は磯部城の一部と解釈しているが、一部とはどのような意味であろうか?
古い集落がある方の御嶽神社または能徳寺が、新磯城の中心としているが、もし、ここの土塁や堀が、その新磯城の城域だとしたら、とてつもない大きな平城となってしまう。
その規模は、現在残っている小田原城の4倍もの大きさだ。

磯部の土塁

そのため、この土塁と新磯城の中心地が、一帯とする城域とは考えにくい。
可能性としては、どちらが先かはわからないが、移転したのか?
それとも、土塁がある場所こそが新磯城(新磯館)であったのか?
土塁がある場所は、相模川を通行する船の関所として機能させたのか?
とにかく、磯部城がどこであったのかは、本当にわからない点が多いと言えよう。
皆様もご意見があれば、是非コメント欄に投稿願いたい。

磯部の土塁の場所

磯部の土塁の場所は下記の地図ポイント地点付近。
車が入れない、相模川沿いの遊歩道沿いにある。
自動車は、ちょっと上流に、相模川に降りられる坂道があるので、整備された相模川河川敷のグランド付近に止めて、土手を南に歩いて3分といったところか?
相模川に降りるところには公衆トイレもある。

小沢城と金子氏については、小沢古城・小沢城などにてご紹介している。

下溝城(下溝堀之内) 北条氏照の娘・貞心が暮らした相模の地
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コメント

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  • コメント (1)

    • shuzou
    • 2023年 5月 23日

    磯部城は相模原の郷土史における邪馬台国のようなものですね。
    文献には登場するものの情報量は限られていて、遺構遺物もほとんどありません。
    唯一の遺構といわれる上磯部土塁にしても、おっしゃるように鎌倉時代頃の領主の方形居館の跡と考えるほうが自然でしょう。
    ただ周辺には溝呂木姓の住民が多いので溝呂木城として利用されていた可能性はあるかもしれません。
    御嶽神社、能徳寺周辺にしても道路割りや地名に城郭の存在を感じさせるものがあるというくらいで根拠のようなものはありません。
    地形的にも城を構えて戦をするような場所ではありません。
    磯部城は上磯部土塁、御嶽神社、能徳寺以外の場所を比定すべきだと思います。

城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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