美濃・曽根城(そね-じょう)は、 岐阜県大垣市曽根町にある平城です。
曽根城(曾根城)は、稲葉一鉄や稲葉貞通が城主であり、位置としては大垣城の北方にあたります。
もともとは湿地帯だったようで、現在は曽根城公園として整備されています。
稲葉一鉄が築城したとされ、1588年に郡上八幡城主となったあとは、西尾光教が曽根城(そねじょう)に入りました。
関ヶ原の戦いの際、西尾光教は東軍に属した為、西軍の島津義弘の家臣らが、曽根城を銃撃し、城下に火を放つと言う牽制を行いましたが、水野勝成が援軍に駆けつけて撃退しています。
西尾光教はこの功績によって、揖斐陣屋(揖斐城の近く)にて所領安堵となり、1601年、曽根城は廃城となりました。
現在、本丸跡には華渓寺があり、古地図には斎藤利三の住居も記載されています。
その為、娘の春日局も曽根城にて誕生したという説もあります。(丹波・黒井城にて生まれたとする説もある。)
1989年の発掘調査では、石垣や土塁などが発見されていますが、保存のため埋め戻されています。
下記の写真は、本丸手前にある湧水ですが、ちょっと地下のような形になっています。
さて、曽根城の無料駐車場ですが、下記の地図ポイント地点となります。
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