東京都

池上氏館 池上宗仲の屋敷 日蓮上人最後の地

池上氏館

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池上氏館とは

池上氏館(しけがみし-やかた)は、東京都大田区池上2丁目の本門寺にあった城跡です。
標高24mの高台になっており、坂道を登ったところですので、平山城と呼んでよいでしょう。

池上氏は鎌倉時代の豪族で、現在の本門寺のところに、館を構えていたとされます。
その池上一族である池上宗仲の館とされるのが、池上氏館です。


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鎌倉幕府の作事奉行・池上左衛門大夫(池上康光とも?)と、印東祐昭の娘との間に生まれた武将が、池上宗仲(いけがみ-むねなか)となります。
池上宗仲は、弟・池上宗長と共に、日蓮の熱心な信徒となったため、1276年と、1277年、2度にわたり、父から勘当されたとあります。
それでも、辞めなかったため、ついには1278年、父・池上左衛門大夫も、入信したと言います。

池上本門寺・経蔵

鎌倉時代の弘安5年(1282年)10月13日、日蓮上人が、多くの門下に見守られて入滅(死亡)しますが、その地は「池上兄弟の館」で入滅したとあります。

日蓮は、胃を痛めていて、数年間苦しんでおり、病気療養のため常陸の温泉(隠井の湯)を目指しました。
隠井の湯(かくいのゆ)は、源義家が発見したと言う鉱泉で、湧かして入浴していたと言い、日蓮の有力信徒・波木井実氏(はきい-さねうじ)の領地でした。
日蓮は、馬で身延山を出て、富士山の北を通って、箱根経由で武蔵国荏原郡(東京都大田区)にある池上兄弟の館に到着しています。
しかし、衰弱がひどく、自身の墓を身延に作るように言い残して、約30日滞在した後、池上氏館にて亡くなったと言う事になります。

新編武蔵国風土記では、「是宗仲(池上宗仲)の館跡にして、実に日蓮入滅の地なり」と紹介されています。

池上本門寺・経蔵

日蓮の死を受けて、池上宗仲は、館を弟子である日澄に差し出し、帰依したことから、本門寺が建立されたと言う事になっています。
そのとおりだとすると、廃城は1282年でして、かなり古くに廃止された館跡となり、目立った遺構は残っていないとされます。
ただし、土塁と思われるような遺構が見受けられるそうですが、それが鎌倉期からあったのかどうかは疑問を感じます。

日蓮の七回忌には、本門寺に御影像が安置されました。
池上氏の館内にあった法華堂が、日蓮示寂の場として寺院化されたと考えられています。

今回、東京ビッグサイトに仕事にクルマで行く途中の、予定外の訪問でしたので、撮影が不十分ですが、池上本門寺五重塔(国指定重要文化財)、池上本門寺宝塔(国指定重要文化財)前田利家室の層塔(大田区文化財)、お万の方の墓所、加藤清正寄進の池上本門寺の石段(大田区文化財)など、見どころもあり、参拝客も多いところでした。
立派なお土産店もあり、観光地化されています。


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交通アクセス

武蔵・池上氏館(本門寺)への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、下記の通りになります。
東急池上線「池上駅」下車徒歩10分
都営浅草線「西馬込駅」南口下車徒歩12分
JR京浜東北線「大森駅」より池上駅行きバス(所要20分)「本門寺前」バス停下車して徒歩5分

車の場合、無料の駐車場を利用でき、トイレも新しくキレイです。
駐車場の入口は、当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。
地図の検索窓から「池上氏館」と検索して頂けると、すぐに表示されるかと存じますし、スマホでカーナビ代わりにもお使い頂けます。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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