相模・真田城
相模・真田城(さなだ-じょう)は、神奈川県平塚市真田1丁目にある平山城(丘城)です。
別名は真田要害とも言います。
鎌倉御家人として有名な佐奈田義忠(佐奈田与一)が城主を務めたのが相模・真田城とされます。
まさに、真田氏発祥地とも言える場所です。
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鎌倉期の真田城は、現在の天徳寺境内と此定されています。
その後、しばらく、真田城は使われなかったようですが、応永年間(1394年~1428年)に、相模・岡崎城主である岡崎義実の子が、真田城に入って、真田義忠(佐奈田義忠)と称したともあります。
また、1495年頃に伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を奪取すると、逃亡した大森藤頼は、岡崎城主・三浦道寸を頼って真田古城(実田城)に入り、改修したともあります。
ただし、1498年頃には、伊勢宗瑞(北条早雲)によって相模・真田城は陥落しました。
この時、大森藤頼は自刃したとも言われています。(諸説あり)
なお、大森藤頼の子・大森泰頼は、まだ幼かったようで、甲斐国に逃れたともされます。
1504年には、両上杉氏による真田合戦(真田城の戦い)となり、真田城は落城・廃城になった模様です。
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その後、戦国時代の1574年に、鈴木隼人なる北条家の家臣が天徳寺を創建しました。
天得寺の山門を入ってすぐ左手に進むと、一段高くなったところに与一堂(眞田明神)があります。
その場所が一番高い所で、標高30m。
麓の田んぼとの比高で15mとなります。
本堂の裏手辺りに土塁があるとの話があったのですが、確認はできませんでした。
もしかしたら、かなり低い土塁となってしまっているのかも?知れません。
周辺は土地区画整備が進み、真新しい住宅も建設しているように開発が進んでいる場所でした。
天徳寺の場所ですが、下記の地図ポイント地点となります。
境内の檀家さん用駐車場を拝借させて頂きました。御礼申し上げます。
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