奈良県

中家住宅(奈良) 上窪田環濠 筒井城と同じような平城のイメージ

中家住宅(奈良)




中家住宅(なかけ-じゅうたく)は、奈良県生駒郡安堵町大字窪田にある環濠住宅です。
環濠(かんごう)住宅と言うのは、屋敷のまわりを「水堀」などで囲って、外敵や盗難などから防御する役割を持った住宅地と言う事になり、中家住宅は大和棟造りの環濠住宅と言う事になります。

環濠集落として、街を丸ごと、環濠で囲ったところとしては、奈良が日本で一番多く現存しており、特に若槻環濠集落(奈良県大和郡山市)と稗田環濠集落(奈良県大和郡山市)が有名です。
ここの中家住宅は、集落と言えるほどの規模ではなく、数件の屋敷を囲っている程度でして、滋賀や群馬にも平城(屋敷)としてあるのと似ています。
地図で見ますと、やはり「堀」で囲まれているのもわかります。

このように、ある意味「平城」(お城・館)と言えるのかな?と感じまして、現地訪問してみました。

敷地内と屋敷の中は、有料拝観できますが、事前に電話予約が必要との情報があったため、外からの見学に留めました。
しかし、幅は広くはありませんが、人の立ち入りを制限するのには充分な水堀にて囲まれているようで、確信しました。

中家住宅(奈良)

上記の地図では、外堀の部分が北側しか見えませんが、南側は、水が流れていない昔の排水溝のような感じで当たったり、道路の幅を確保するため、フタをしているためであることもわかりました。
そして、自宅に戻ってから調べてみますと、やはり、武士の屋敷だったようです。

なんでも「中氏」と言う武士がおり、最初は足立氏と称していたと言い、南北朝時代の頃、足利尊氏に従って大和に来たとの事です。
と言う事は、東京の足立区あたりが本貫だったの可能性もあるでしょう。
そして、この「窪田」の地に屋敷を構えたことから「窪田氏」を名乗ったようですが、奈良・興福寺の門跡勢力に属していたのではと存じます。

戦国時代には筒井城の筒井一族だったようですので、婚姻関係があったのでしょう。
窪田氏の惣領家(本家)は「中殿」と呼ばれたため、やがて1391年に中氏と称するようになったとあります。





この窪田氏(中氏)の屋敷は、ほぼ昔の姿を残した状態であることから、国の重要文化財に指定されています。
すなわち、造りとしては「筒井城」と同じ感じなのです。

今の建物は、江戸時代の1659年頃に建てられたそうで、中氏はすでに帰農していました。
大和棟の主屋をはじめ、表門・新座敷・蔵・持仏堂などが残っており、武家屋敷と豪農屋敷が融合したような形式になっているそうです。
台所のかまどは11基、400年以上前の現存梅干し、来客向け蒸し風呂なども残っているとの事。

中家住宅への交通アクセス・行き方ですが、バスだとちょっと大変です。
近鉄平端駅から安堵町コミュニティバス南回りルートに乗車して約10分、窪田東(中家住宅前)バス停下車の徒歩5分となります。
クルマの場合、目の前に、中家住宅見学者用無料駐車場(3台ほど)があります。
ただし、道路が狭いです。
アプローチする場合には東側から、堀沿いを進んでください。
南側の道路は、軽自動車でも、角を曲がるのが困難です。





以上、最初は国の重要文化財の住宅と言う事で「歴史観」サイトに記事を入れる予定でしたが、急きょ、こちらの「城旅人」サイトにて公開させて頂きました。
もっと、武将の屋敷、すなわち環濠の「お城」としてPRすれば、観光客も増えるのになと感じる次第です。
観光客がたくさん来て、静かな窪田の集落が困ると言う事であれば、今のままが良いとは存じますが・・。

ちなみに、中家の左隣にある石田家は、同族との事ですが、その石田家の門は、多聞山城の移築門です。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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