二曲城(ふとげじょう)は石川県白山市出合町にある山城で、別名は府峠城とも言います。
比高は約90mで、近くにある続日本100名城の鳥越城の付け城であるため、一緒に国の史跡に指定されています。
鳥越城から大日川の対岸に相対する標高268mの独立峰が、二曲城と言う事になります。
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最初の築城は不明ですが、二曲右京進が築いたと伝わります。
土豪である二曲氏が二曲村を治めており、山麓に屋敷を設けて、山頂部は詰の城としていたようです。
そのため、登城口付近に殿様屋敷と呼ばれる居館跡があったと言う事になります。
そして、石山本願寺が超勝寺を支援して加賀一向一揆を本格化させると、二曲右京進は一向一揆に味方して、白山麓にて君臨しました。
1570年頃に、鈴木出羽守が白山麓・山内衆の総大将として派遣されると、鳥越城と共に二曲城は三坂峠を押える支城として改修されたようです。
1580年、織田信長が加賀一向一揆の討伐を行った際、柴田勝家らが鳥越城を攻略しますが、この時、二曲城も陥落して一向一揆は徹底的に壊滅されました。
鳥越城には、柴田勝家の家臣である吉原次郎兵衛、二曲城には毛利九郎兵衛が入っています。
しかし、ゲリラ化していた白山麓一向一揆によって1581年に二曲城は奪還されましたが、1582年、織田勢の佐久間盛政によって鎮圧され、一向宗門徒ら300人が磔に処せられました。
二曲(ふとげ)の名の由来としては、美貌と優雅さで知られた鈴木出羽守の娘が、立ち上がった際に長い髪が背を伝って下に振り下ろされて、更に二曲り(ふたまがり)になったことから、名付けられたとあります。
佐久間盛政と二曲姫の伝承が残っており、父が討死すると、二曲姫は佐久間盛政の求婚を断り出家しました。
しかし、山内衆が再蜂起し鳥越城・二曲城を奪還すると、再度、佐久間勢の討伐を受けることから、さすがに命を絶ったと言われています。
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加賀・二曲城への交通アクセス・行き方ですが、訪問時には不明でした。
一向一揆歴史館の裏手から、山側に向かって小川に沿って直進すると、左手が登城口になっているようです。
よって、駐車場は、道の駅になっているような、白山市立鳥越一向一揆歴史館の無料駐車場に止めて、徒歩で行くと良いでしょう。
登城口から本丸までは徒歩20分ほどのようです。
登城口付近にも5台ほどの駐車スペースがあるようですが、城跡は夏場、ヤブになっている模様です。
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