福井県

丸岡城と柴田勝豊~北陸唯一の現存12天守のひとつ

岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞にある連郭式平山城です。
日本100名城や日本の歴史公園100選にも選ばれていますほか、サクラの名所であることから、日本さくら名所100選にも選出されています。

一向一揆が城を攻撃すると天守閣横にある井戸から大蛇が現れ大蛇が現れて霞を吹いて城を隠したという伝説から霞ケ城(かすみがじょう)とも呼ばれます。
まぁ、これはキリや低い雲で覆われたと言う事です。

最初の築城は戦国時代の天正4年(1576年)とされます。
柴田勝家北ノ庄城の築城を開始したのが、1575年で、一向一揆の備えとして織田信長の命によってり柴田勝家が甥の柴田勝豊が45000石となって、丸岡城を築かせたとされています。





柴田勝豊

柴田勝豊(しばた-かつとよ)は、柴田勝家の家臣・吉田次兵衛の子(またはその養子で、渋川八左衛門の子)で、母が柴田勝家の姉となります。
当時、柴田勝家には子がいなかったため、柴田勝豊は後継者として柴田勝家の養子になっていました。
現在の丸岡城からほど近い、豊原寺城主でしたが、新城として丸岡城を築城開始したと言う事になります。

丸岡城

その後、柴田勝豊は、1581年、織田信長の京都御馬揃えで、養父・柴田勝家とともに上洛して参加しています。
柴田勝豊の正室は、稲葉貞通の娘です。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変にて織田信長の死後は、清洲会議で柴田勝家の所領となった近江・長浜城主となりました。
丸岡城には安井家清が入っています。

越前・丸岡城

しかし、賤ヶ岳の戦いの前に、羽柴秀吉が5万の大軍をもって長浜城を包囲すると、大谷吉継の調略を受けて長浜城を明け渡し、羽柴勢に寝返ります。
これは、同じ養子でも柴田勝政が優遇されていたようで、尚且つ従兄にあたる佐久間盛政とも仲が悪かったなどの理由があったようです。
正月の年賀の席で年長の柴田勝豊を差し置いて、佐久間盛政に柴田勝家の杯をとらせようとしたなど、確執がありました。

丸岡城

ただし、すでに病床であり、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは家臣を代理として、羽柴勢に加わっていました。
その賤ヶ岳の戦いの直前、豊臣秀吉の勧めで京都で治療しますが、京都東福寺にて病死しています。享年28。
1583年4月16日、養父・柴田勝家が自刃する8日前のこととなりました。

その後の丸岡城

1583年(天正11年) 柴田勝家が滅ぼされたあと、北の庄丹羽長秀の所領となり、丸岡城には青山宗勝が入ったとされますが、1598年の可能性もあります。
石高は46000石です。

丸岡城

1600年(慶長5年) 丹羽長秀が没したあとは、豊臣秀吉の家臣となっていた青山宗勝と青山忠元は、関ヶ原の戦い石田三成に味方したため、所領没収となっています。
徳川家康の次男・結城秀康が越前・福井城に入ると、丸岡城には家臣の今村盛次が2万5500石にて入城しました。

丸岡城

1612年(慶長17年)、今村盛次が越前騒動に連座し失脚すると、徳川幕府より福井藩の附家老として赴任した本多成重が4万3300石で、丸岡城主となっています。

本多成重

1624年(寛永元年)、 福井藩2代目の松平忠直が、不行跡を理由に豊後配流となり、本多成重は福井藩から独立する形で丸岡藩が成立しました。

丸岡城

1695年(元禄8年)には、本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で丸岡藩主となり、以後は有馬氏にて明治維新を迎えました。

本多家の墓

丸岡藩の奨励により、1753年から酒造りを行っている蔵元で有名なのが「久保田酒造」です。

日本最古の現存天守?

丸岡城の天守は独立式望楼型2重3階で、昔に建造した天守が残っている「現存天守」となり、北陸では唯一となります。
残念ながら、建造年は不明ですが、独立式望楼型と言う古いタイプであることと、現在でも縄を使って登らなくてはならないような、急な階段があるなど、作りが古い箇所が見受けられるため、日本最古の現存天守とする説もあります。

丸岡城

しかし、構造からは1613年頃の建物ではないか?とする説もあります。

丸岡城

ちなみに、築城年がハッキリしている現存天守で最古なのは、丸岡城と同じような作りの犬山城の天守となります。

丸岡城

明治6年(1873年)の廃城令で天守以外はすべて解体されましたが、天守は丸岡町が買い戻して解体を免れました。
しかし、丸岡城の階段は、スゴク急でして、縄もついています

丸岡城の階段

階段の傾斜は62℃と言いますので、女性の方はズボンでのご訪問が無難です。

丸岡城の階段

階段を降りると言うよりは、穴に入るような感覚です。
足腰が悪いお年寄りは無理をなさらないでください。

丸岡城の階段

下記は天守からの眺めです。

丸岡城からの展望

屋根が笏谷石製瓦で葺かれているのも珍らしく、国の重要文化財に指定されていますが、坂井市などは国宝への昇格に動いています。
松江城が2015年に国宝指定を受けていますので、可能性は十分あります。

丸岡城

門の辺りも縄張りには技巧が見られます。
下記は井戸です。

丸岡城の井戸

二の丸には古墳時代の石棺も展示されてしました。

丸岡城

丸岡城の天守閣は有料拝観で、営業時間は朝8:30~17:00(入場は16:30迄)
入城料は大人450円、小学生・中学生150円となっています。

お静の涙雨

丸岡城を築城する際、天守閣の石垣が何度も崩れたと言います。
このように普請がうまく行かない時には、必ずと言ってよいほど「人柱」を立てます。
城下に「お静」と言う女性がいて、子をかかえて苦しい生活をしていたと言う事ですが、その子を武士に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江・長浜へ移ることとなり、お静の子は侍にはしてもらえなかったと言います。
それから、田植えを準備する頃になると、雨がたくさん降って堀から水があふれるほどになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。

お静の涙雨

今でも春の丸岡祭(国神神社春季祭礼)が開催される頃は雨天が多く、雨が降るたびにお静の話が話題となるそうです。

なお、丸岡城ですが、現存天守はあるものの、残念ながら城跡の多くは消滅しています。
霞ヶ城公園となっている本丸に天守があるだけという状態で、本丸の堀もすべて埋め立てられてしまっています。
ただし、内堀は掘り戻す計画もあるそうです。





丸岡城の城門は、小松市の興善寺、あわら市の蓮正寺、そして丸岡町野中山王の民家に不明門と伝わる城門が移築されています。

丸岡城の観光所要時間は30分ほどとなります。

丸岡城の城門が、ちょっと遠い石川県小松市の興善寺にありました。

丸岡城の門( 興善寺)

交通アクセス

JR福井駅前より京福バス「丸岡線」に乗車して約35分、終点「丸岡城」停留所下車すぐ。バスは30分に1本程度あります。
最寄り駅は、丸岡駅となりますが、バス本数が少ないので、丸岡駅からはタクシーが無難です。しかし、タクシーは電話で呼ぶ方式です。

無料駐車場は周辺にいくつかありますが、下記の駐車場が一番最寄りです。

丸岡城の駐車場

当方のオリジナルGoogleマップでも場所がわかるようにしてあります。

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この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
初心者向け
旧国名
越前
著者コメント
天守の内部は階段が急なので、女性は「ズボン」でお願いします。

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