岐阜県

鷺山城 斎藤道三隠居の城で濃姫(帰蝶)が住んだ城

鷺山城

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鷺山城とは

鷺山城(さぎやまじょう)は、岐阜県岐阜市鷺山にある山城で、標高68m、比高約47mです。
鷺山に築かれており、山頂の本丸には、城址碑もあるようです。
最初の築城としては、鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)に、佐竹秀義(佐竹常陸介秀義)が築城したとされます。
この佐竹秀義(さたけ-ひでよし)は、常陸・の佐竹家第3代当主で、常陸・太田城主ですが、承久の乱(1221年)の戦功で、源頼朝より美濃にも所領を与えられたのでしょう。
<注釈> 老齢だったため、合戦には子供らが参じて戦功をあげた。
なお、山口郷(大矢田地区や藍見地区)と上有智荘(美濃市の小倉山城)に領地に入ったのは、美濃・佐竹氏の「北酒出季義」となりますが、この北酒出季義は、佐竹秀義の子だとされます。
<注釈> 常陸の北酒出から移住した模様。
北酒出季義は、本家を継げる立場ではなかったため、新しく得た美濃の領地のほうが、大きかったので、入ったと言う事ですね。
美濃佐竹氏は、長山氏なども輩出し、室町幕府・足利将軍の弓術指南を務めるなど、美濃・明智家などと共に幕府の奉公衆に名を連ねました。


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南北朝時代になって、土岐頼康が美濃国・尾張国・伊勢国の守護になると、川手城を本拠にし、この時、鷺山城は支城になったとされていますが、まぁ、当たり前といったところでしょうか・・。

戦国時代の1509年には、近くに福光館(福光御構・蝉土手城館)の築城を、土岐政房の命を受けた斎藤利綱が開始しています。
そして、福光館(福光御構)が美濃守護の本拠となり、この時、鷺山城は詰の城として改修されたものと考えられます。

1519年、土岐政房が死去すると、追放されていた土岐頼武と美濃守護代・斎藤利良が、越前・一乗谷城朝倉孝景から支援を受けて、福光御構、鷺山城、池戸城を攻略しています。
土岐頼武は福光御構に入って美濃守護となり、長井長弘が没落しています。
しかし、安定は長く続かず、1525年、土岐頼武の弟・土岐頼芸と長井長弘によって鷺山城は占領され、土岐頼武や斎藤利茂らは福光館から退去しています。
ただし、土岐頼武は鷺山城を奪い返すなどして、内乱は続きましたが、1530年、長井長弘や長井新左衛門尉(斎藤道三の父)らに支持を受けた土岐頼芸が勝利し、土岐頼武は大桑城に逃れました。
このとき、斎藤利政(長井新左衛門尉)は稲葉山城を拠点としています。

1532年、土岐頼芸は枝広館(現在の長良公園)に本拠地を移しましたが、1535年に長良川が氾濫した大洪水にて跡形もなく流されました。
なお、土岐頼芸が重用した斎藤道三と小見の方明智光継の娘)が、1535年に濃姫を産んでいます。


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その後、美濃を手に入れて、稲葉山城主となった斎藤道三は、1548年に家督を子の斎藤義龍に譲ると、鷺山城に隠居しました。
斎藤道三が鷺山城を改修したとされますが、長良川の水を引き入れた庭園が設けられたと言いますので、麓に居館があったと考えて良いでしょう。
土岐頼純が殺害されて斎藤家に戻っていた濃姫(帰蝶)は、1549年2月24日に、尾張・古渡城織田信長に再嫁した訳ですが、それまで鷺山城に住んでいたようで、織田家に嫁いだ時点で「鷺山殿」と呼ばれている次第です。
そのため、濃姫・帰蝶と言う女性の正式な呼び名は「鷺山殿」(さぎやま-どの)とも言えます。

斎藤義龍は、1555年に鷺山城から斎藤道三を追放します。
そして、大桑城にいた斎藤道三と斎藤義龍は、1556年に長良川の戦いをこの付近で展開し、自刃した斎藤道三の「道三塚」も近くにあります。
帰蝶(濃姫)の髪の毛を収めた「濃姫遺髪塚」も岐阜城下にあります。
その後、織田信長が岐阜城に入った頃には、鷺山城はすでに使われていなかったようです。


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交通アクセス

鷺山城への交通アクセス・行き方ですが、JR東海道本線の岐阜駅から岐南町線バスにて「さぎ山小学校前」バス停下車して、徒歩約1分で登城口となります。
北野神社側の鷺山公園には、道三岩と濃姫岩があるようですが、街中は角を曲がるのも大変なくらい、道路がとても狭いうえに、駐車場が見つからず、登城は断念しました。
美濃において鷺山城も、歴史上は重要な城跡なのですが、岐阜城のほうは、かなり整備されているのに対して、鷺山城はギャップを感じました。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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