信濃・愛宕城(あたご-じょう)は、長野県飯田市愛宕町にあり、別名を飯坂城とも言う、標高490m、比高50mの平山城で丘の先端にあると言う感じです。
最初の築城は不詳ですが、1195年、源頼朝の配下で郊外庄の地頭である近藤六郎周家が、上飯田の松原宿から館を移して飯坂城と名付け、名前も坂西氏(ばんざい-し)を称したともされます。
その後、南北朝時代初めに信濃守護・小笠原貞宗の3男・小笠原宗満が、信濃の飯田郷の地頭職となり、1345年頃、最初は飯田郷三本杉に居館を構えて、坂西孫六と名乗ったともあります。
三本杉と言う場所は、恐らくは、今の飯田市の市街地だと推測されますので、信濃・愛宕城の事を指していると言っても良いかと存じます。
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1400年、大塔合戦(大内義弘の乱)の際に、小笠原氏に従っていた伊那衆の筆頭として坂西氏の名があります。
信濃の愛宕城址は、現在の愛宕稲荷神社周辺となります。
諸説ありますが、1344年に生まれた信濃・飯坂城主である坂西由政(ばんざい-よしまさ)のとき、現在の信濃・飯田城址がある字山伏丸と土地を交換してもらい、愛宕城(飯坂城)には愛宕山地蔵寺が建立されました。
そして、山伏の修行所となり、現在の愛宕稲荷神社に繋がっていると言う事になります。
愛宕稲荷神社は桜の名所として知られており、1240年に清秀法印が植えたと言う一本桜の「清秀桜」(せいしゅうざくら)があります。
下記は「千代蔵桜」(ちよぞうざくら)です。
境内の南側には、愛宕城址碑がありました。
信濃・飯田城への交通アクセスですが、最初の1時間は無料になる有料駐車場「扇町駐車場」にクルマを止めて訪問しました。
ただ、愛宕神社の鳥居から境内に進入しても、駐車可能でした。
なお、境内の駐車場は月極になっているスペースもありますので、他車に迷惑を掛けないよう、駐車願います。
入口は当方のオリジナル関東地図にてポイントしてあります。
電車の場合、飯田駅の観光案内所にて、レンタサイクル(貸自転車)が便利だと存じます。
もちろん、信濃・飯田城とセットでどうぞ。
・信濃・飯田城 伊那地方の拠点となった城跡
・信濃・松岡城と松岡貞利~井伊家を救った松岡家は井伊家にまた救われた?
・高遠城~織田信忠が総攻撃して陥落させた武田の重要拠点
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