畠山館とは
畠山館(はたけやま-やかた)跡は、埼玉県川本町畠山にある平城です。
平安末期から鎌倉時代初期に武蔵で最大勢力を誇ることになる名将・畠山重忠が生まれた場所と伝わる館跡です。
畠山氏居館、畠山氏館とも言い、現在は畠山重忠公史跡公園として整備されています。
畠山重忠は17歳のときに河越重頼、江戸重長らと長井渡しにて源頼朝に従い、鎌倉幕府成立に貢献しました。
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畠山重忠の銅像もあります。
一ノ谷の戦い「ひよどりごえ」にて、愛馬・三日月を背負っている姿になっているそうです。
トップの写真は、二俣川の戦いで討死した、畠山重忠とその家臣の墓といわれる五輪塔数基です。
下記は、畠山重忠が生まれた際に使用したとされる産湯の井戸となります。
畠山氏は、秩父一族が出自で、秩父重綱の孫・畠山重能が畠山荘の開発領主となり畠山を称しました。
畠山重能は武蔵・大蔵館を襲撃して権力を握ると、武蔵・菅谷館を本拠にして移っています。
畠山重忠公史跡公園では、毎年4月に「重忠まつり」が開催され、石投げ大会・郷土芸能などのイベントが行われるそうです。
交通アクセスですが、公園北側に無料駐車場とトイレが用意されています。
駐車場がある場所は、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。
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