丹羽長秀邸は、織田信長の重臣として名高い、丹羽長秀の屋敷があった場所となります。
表現上は「屋敷跡」と言うことになりますので、居館と言うことになります。
しかし、他の居館跡によっては、丹羽長秀城跡と言うように「城跡」として表現する場合もあります。
よって、この丹羽長秀邸跡は、控えめに城や館とは称していませんが、当サイトでは分類として、武将が住んでいた場所、すなわち「城」としてご紹介させて頂きます。
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清洲城主・織田信長の重臣であった丹羽長秀の領地だったことには間違いないでしょう。
丹羽五郎左衛門の生誕地とされる場所です。
丹羽長秀は尾張国守護である斯波氏の家臣・丹羽長政の次男として、1535年に生まれました。
丹羽長秀屋敷跡の付近は、道の狭さも昔のままでして、近くには下記のような有形文化財もあります。
江戸時代の建物で、旧志水家玄関車寄せと言います。
もともと名古屋城の三の丸にあった、尾張藩家老・志水甲斐守屋敷の玄関車寄せ部の建築物を譲り受けて移築したものとなります。
撮影までは控えましたが、表札には「丹羽」と出ている家も存在していました。
1582年、武田勝頼が滅亡したあと、丹羽長秀は草津温泉に行って湯治もしている武将です。
柴田勝家が、羽柴秀吉に敗れたあと、丹羽長秀は北ノ庄城を与えられました。
このとき、丹羽長秀の城も廃城となったか、次第に使われなくなった模様です。
白山神社の参道入口を少し南に行った角地に丹羽長秀邸址の碑があります。
丹羽長秀邸址の住所は下記の通りになります。
名古屋市西区児玉3丁目13-40
駐車場などはないので、付近にある100円パーキングなどを利用となります。
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名古屋駅から名古屋市営バスですと11番系統に乗車して、康生通り4丁目バス停下車の徒歩5分となります。
名古屋市営地下鉄の鶴舞線「浄心駅」からは、徒歩13分くらいです。
地図などは当方のオリジナル中部地図をご活用賜りますと幸いです。
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