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幸神屋敷(平山綱景の屋敷)
幸神屋敷(さじかみ-やしき)は東京都西多摩郡日の出町大久野にある屋敷跡(平城)で別名は御屋敷。
築城年代などは不明だが、幸神氏の居館とする説もあるらしい。
遺構などはなく幸神屋敷があった場所も推定地と言えよう。
近くには1335年(建武2年)の創建とされる幸神神社があり、永禄年間(1558年~1570年)に社殿が再建された記録もあるようだ。
戦国時代には北条氏照に仕えた平山綱景の屋敷ともされ、知行は入西郡平山分にて16貫700文だったと言うが、まぁ、もともと平山氏は桧原村のほうが戦国時代の本拠なのであちこちに飛び地はあったであろう。
この平山氏は鎌倉御家人・平山季重を祖とする平山氏である。
平山左衛門尉綱景(平山善九郎)は檜原城主・平山氏重の弟とある。
越生のほうにある平山氏居跡も平山綱景の屋敷とする説もあるようだ。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、平山綱景は八王子城・太鼓曲輪にて籠城した。
しかし、八王子城は前田利家・上杉景勝らの猛攻撃を受けて総勢3000名が討死。
幸神屋敷主の平山綱景(平山善九郎綱景)も討死している。
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兄の平山氏重は檜原城が落城した際に、子の平山新左衛門(平山氏虎?)らと共に自刃した。
交通アクセス
幸神屋敷への行き方だが、JR五日市線「武蔵五日市駅」から西東京バスの福生駅行きなどに乗車して幸神バス停下車し徒歩5分。
駐車場が無いので駐車禁止でない道路の路肩に1分だけ止めて写真撮影に留めた。
推定地の場所は当方のオリジナル地図にてポイントしている。
・檜原城の解説~平山正泰の居城で横地吉信(横地監物)が逃げたとされる「檜原城の戦い」
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・北条氏照(大石源三、北条氏輝、北条陸奥守氏照)~北条の戦略家
・八王子城落城の悲劇 (八王子城の戦い)
・幸神屋敷の解説~平山綱景の屋敷か?
・武蔵・戸倉城の解説~小宮憲明の築城で大石定久の隠居城
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