埼玉県

武蔵・比企氏館(比企能員館)の解説~東松山にある比企能員の本拠地推定地

武蔵・比企氏館

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武蔵・比企氏館(比企能員館)とは

武蔵・比企氏館(比企能員館)は、埼玉県東松山市大谷にある平城(館跡)です。
比企尼の夫・比企掃部允は、ココより西にある、三門館に住んだと考えられているようですので、東松山の比企氏館は、比企能員が建てたと言う話になっています。
近くにある宗悟寺が、若狭局ゆかりの寺になりますが、戦国時代の1592年に、森川氏俊が、比丘尼山の麓から、移転したそうでして、下記の扇谷(おおぎやつ)にある宗悟寺さんが館跡と言う事ではなさそうです。

宗悟寺

そのため、比企氏の屋敷は、近所にあったと想定されますが、正確な場所は、わかっていません。
ともあれ「埼玉県史」や「埼玉の神社誌」によって、比企氏館の推定地とされる場所がありますので、行ってみました。

近くに「城ケ谷」(じょうがやつ)と呼ばれる箇所があり、比企氏館(比企能員館)と推測されている模様です。
そんなに高くはないのですが、両側に丘があり、少し、谷沿いの地形になっているようです。


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車道は、完全に1.0車線でして、普通車がようやく走行できる道路で、すれ違うことができる路肩や、Uターンする場所がなかなか無く、運転には苦労致しました。
そして、比企氏館(比企能員館)の推定地とされる場所には、現在、発電のソーラーパネルがいっぱい広がっていました。
そのため、地形なども変更されているようでして、屋敷があったのか?、全く確認することもできません。
自分の背丈より高さがある、太陽光発電の設備ですので、周りの景色も、よくわからず、雰囲気も不明でした。

武蔵・比企氏館(比企能員館)

感覚的には、谷と言う感じがしません。
確かに、両側は、若干、高さがあるようですが、両側が、少し高い土塁程度の高さになっている土地です。(土塁になっているという事ではなく、イメージとして)
目で見て、丘に囲まれているとは感じられない、低い台地の上と言う感じです。
もちろん、推定地・伝承であるため、ココに屋敷があったと保証されている訳でもありません。
ひょっとしたら、比企朝宗の屋敷があったのでは?とも、考えてしまいます。


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比企能員の娘・若狭局が、鎌倉から逃れてきて過ごしたとされる、若狭局隠棲址や、串引沼もあるようですが、とにかく道路が狭いです。
地元で農作業などなさっている、軽トラなど、住民の皆様の迷惑にもなると考え、これ以上、グルグルと探し回るのは、断念しました。

地名が大谷になっていますが、高い山に囲まれた谷と言う事ではなく、この付近は、谷間がいくつもありますが、それぞれの土地が大きい(広い)と言う事になるかと存じます。
すなわち、馬の飼育に向いている場所の、少し高い台地に屋敷があったと言う事でしょう。
立地的には、宗悟寺がある場所のほうが、館跡にふさわしいのですが、わざわざ、比企氏館(比企能員館)の推定地がありますので、宗悟寺は、館跡ではないと、信じたいところです。


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比企能員と家族は、ほとんど、鎌倉・比企ヶ谷の比企氏館に住んでいたと考えますので、東松山の屋敷は代官所みたいな役割だったと存じます。
1182年に、北条政子源頼家を出産したのも、鎌倉の比企氏館となります。
比企能員の妻(名前不明)も、源頼家の乳母を務めています。
また、比企能員の娘・若狭局は、源頼家の嫡男・一幡と、竹御所を産みました。

なお、川島町に比企館がありますが、川島の比企館跡は、鎌倉時代より後年、生き残った比企氏の館となります。
川島町も古くは比企郡の一部です。
戦国時代に、故郷の比企郡に戻った比企政員が、扇谷・上田憲定岩槻城太田資正に仕えました。
そして、北条氏康に臣従すると、武蔵・松山城の松山衆に組み込まれています。
江戸時代になると、比企則員は結城秀康に仕えました。

交通アクセス

武蔵・比企氏館(比企能員館)への行き方・交通アクセスは下記の通りです。
東武東上線・東松山駅から、東松山市循環バス「大谷コース」に乗車(100円)して、所要21分、大谷交差点バス停下車して、徒歩約15分です。
目印としては、東松山霊園を目指して歩いて行き、その先にあると言う感じです。
コミニティーバスのため、運転日・時刻表も、変わりやすく、運転本数も少ないので「東松山バス」と検索して、最新情報をご確認願います。
タクシーだと約6km、15分くらいです。


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駐車場はありませんので、クルマを止める場合には、宗悟寺さんの無料駐車場拝借になり、のどかなところを、ちょっと歩きますが、距離700m、徒歩10分です。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしておりますが、道路狭いのでご注意を。
まぁ、遺構は、何もないので、残念ですが、ご紹介させて頂きました。
もちろん、宗悟寺と、セットでどうぞ。

(参考) 埼玉苗字辞典

謎の【比企能員】出自・出身を探る~安房国出身の三浦一族なのか?
比企尼(ひきのあま)~わかりやすい解説【鎌倉殿の13人】源頼朝の乳母
比企能員(ひき-よしかず)の解説 北条氏にハメられた?【比企能員の変】
比企能員の妻~鎌倉殿の13人で堀内敬子さんが演じられる「道」(みち)と言う女性とは?
比企朝宗の解説【鎌倉殿の13人】比企一族で姫の前の父
比企尼の謎の出自や出身を調査~大中臣倫兼の長女か?
比企能員の娘【若狭局】(讃岐局)~次期将軍・源一幡の母
比企掃部允の解説~謎の出自に迫ってみると阿波・佐藤氏(藤原氏)出身か?
鎌倉・妙本寺(みょうほんじ)の解説~一幡の袖塚・比企一族供養塔・竹御所の墓・蛇苦止堂【鎌倉・比企氏館】
宗悟寺の解説【比丘尼山】比企氏の本拠地にある森川氏俊の菩提寺
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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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