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石見・山吹城とは
石見・山吹城 (やまぶき-じょう)は、島根県大田市大森町にある山城で、標高414m、比高200mの要害山にあるため、別名は石見・要害山城とも言います。
周辺の石見・石見城、矢筈城、矢滝城(石見・高城)と共に「石見銀山」を守る4つの(石見銀山城館)城館群のひとつであり、国指定史跡「石見銀山遺跡」や、世界遺産「銀山柵内」に城跡が包括登録されています。
山吹城では、19本以上の畝状竪堀や土塁、空堀、石垣など、まさに石見銀山が重要な地であったことがわかります。
銀山旧記によると、最初の築城としては、石見銀山が発見された1309年頃に、周防の大内弘家の命にて築城されたとされます。
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戦国時代に入ると、博多の商人・神谷寿貞によって開発された「灰吹法」により、銀の採掘量が増大しました。
1530年~1533年には、石見の小笠原長隆が銀山を占領しますが、大内氏が奪回すると、石見・山吹城を改修して強化しました。
しかし、1537年、出雲・月山富田城の尼子経久が石見銀山を占領し、尼子・小笠原の連合軍と、大内氏との争奪戦が繰り返されました。
陶隆房(陶晴賢)の謀反による大寧寺の変で、大内義隆が自害すると、1555年、厳島の戦いで毛利元就と対した陶晴賢は、宮尾城を落とせず、敗走して自刃しました。
その後、毛利元就も石見銀山を狙うと、石見・山吹城主の刺賀長信は、1556年に毛利家に臣従し、銀山は毛利氏が一時支配するところとなりました。
そのため、尼子晴久は25000の大軍を送ると、宍戸隆家ら7000の毛利勢を「忍原崩れ」で撃破し、石見・山吹城を兵糧攻めしました
刺賀長信と副将の高畠遠言は、城兵の命と引き換えに自害して、山吹城を尼子氏に明け渡しています。
そして、戦功があった本城常光が、石見・山吹城主に就任しました。
本城常光 (ほんじょう-つねみつ) は、石見の国人高橋氏の一族で、武勇に優れた武将でした。
永禄2年(1559年)、毛利勢が山吹城を攻撃しますが、本城常光は、矢滝城下での降露坂の戦いにて撃退することに成功しています。
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1561年12月に、尼子晴久が急死すると、尼子家臣団が動揺したため、跡を継いだ尼子義久は、室町幕府将軍・足利義輝に毛利家との和睦調停を依頼します。
この雲芸和議 (うんけいわぎ) にて、尼子氏の石見方面への不干渉と言う条件を、尼子義久は承諾します。
そのため、尼子氏に従っていた石見の国人らが失望したのを見た毛利元就は、和議を反故にして、山吹城を包囲したため、本城常光は毛利家に降伏しました。
これにより、石見・出雲の多くの尼子家臣が、毛利家に寝返る事態となっています。
しかし、永禄5年(1562年)、本城常光の武勇などを嫌った毛利元就は、本城常光は誅殺しています。
なお、石見・山吹城には、吉川元春の家臣・森脇市郎左衛門を入れて、毛利氏は石見銀山を支配し、織田家との戦いの軍資金を確保した形になります。
下記は、石見・山吹城への登城口(手前)です。
1584年(天正12年)、豊臣秀吉に毛利輝元が服属すると、石見銀山は豊臣秀吉の上使である近実若狭守と、毛利氏の代官・三井善兵衛が共同管理しました。
すなわち、半分は豊臣家の軍資金に充てられ、豊臣秀吉の朝鮮出兵を可能にした次第です。
下記は、石見・山吹城への登城口(奥川)でして、自転車ではなく、龍源寺間歩も見学する場合には、ここに降りてこれるとスムーズです。
1591年(天正19年)毛利輝元は、豊臣秀吉の命にて、領国の鉱山奉行に、備後・松岡城主の林就長と、幕臣だった柳沢元政を豊臣家臣にして任命しています。
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慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにて、毛利家は石見国を失い、石見銀山は江戸幕府の直轄領となりました。
大久保長安が石見・山吹城に入ると、山吹城を改修して吹屋(銀精錬所)を置いたと記録があります。
翌年の1601年には、大森代官所に拠点を移したため、石見・山吹城は廃城となりました。
その後、2度と利用されないように破却したため、遺構の多くは失われていると言う事が言えるでしょう。
山麓にある西本寺の山門は、城門を移築したものと伝わります。
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交通アクセス
石見・山吹城への交通アクセス・行き方ですが、クルマは進入禁止のため、観光用の駐車場に止めてから、徒歩・レンタサイクルで行くことになります。
石見銀山「龍源寺間歩」に向かう途中に「山吹城跡1.1㎞」の標識あり、登城口(上記の手前の登城口)となっており、本丸まで50分前後です。
大手口を登ると大石垣が残っていたり、砦跡の平地(なりち)、空堀がありますが、山上の本丸には遺構は無いようです。
観光地で土日祝は、駐車場も混雑しますので、平日に訪問されることをお勧め申し上げます。
・石見銀山の歴史
・龍源寺間歩の見学参考情報
・月山富田城の解説【日本100名城】尼子経久・尼子晴久・尼子義久
・石見・石見城の解説 (石見銀山城館)
・大久保長安の解説 武田家臣から徳川家の老中に出世
・山陰地方の史跡・城跡へのカーナビにも便利な地図
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