相模・田代城(たしろ-じょう)は、神奈川県愛甲郡愛川町田代にある平山城です。
街道沿いにある地形であるため、防御は弱いです。
最初の築城は不明ですが、小田原城の北条家臣である内藤下野守秀勝(内藤秀勝)が半原・田代・角田にて137貫文を領して、戦国時代の1555年~1558年位に築城されたと考えられます。
田代中学校付近には居館が構えらたと考えられ、背後の山になる富士居山には、狼煙台も設置されたようで、行政の拠点になりました。
このように、戦国時代に津久井城主などを務めた、内藤氏の一族が改修したようです。
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田代城の内藤氏としては、諸説ありますが、内藤秀勝(内藤下野守秀勝)、内藤秀行(内藤三郎兵衛秀行)と続いていますが、その後、内藤定行は、中津川対岸の高台にある細野城を本拠にしたと伝わります。
近くには、1569年、武田信玄が小田原城を包囲した帰りに合戦になった、三増峠の戦いの激戦地の隣でもあり、この時、合戦前に通過する武田勢が田代城を陥落・炎上されたと考えられています。
ただし、その後、津久井城は落ちなかったことから、愛川も引き続き北条勢が維持しましたが、田代城は廃城となり、津久井城を更に改修したと考えるのが妥当でしょう。
三増合戦の首塚、三増合戦の胴塚も近いですが、いかんせん、田代城近くには駐車場がありません。
また、田代城跡は、愛川町立愛川中学校になっていますので、様子の撮影は自粛、案内板に留めました。
案内板がある場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。
交通アクセスですが、バスの場合、本厚木駅から厚2系統「半原」行きの神奈中バスに乗車して約40分、田代坂上バス停から坂道を登ること約5分です。
三増峠の戦いの石碑がある合戦場跡とセットでどうぞ。
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