大岐城(おおき-じょう)は、高知県土佐清水市大岐にある山城で、標高120m、比高117mほどになります。
最初の築城は不明ですが、文明年間(1469年~1487年)頃に大岐氏(おおき-し)が築いたとされます。
戦国時代、大岐城は、中村御所に入った一条教房に従っており、大岐家政(大岐丹波守家政)、大岐政直(大岐能登守政直)、大岐正行(大岐左京進正行)と続きました。
1574年、一条兼定が三家老である羽生監物、為松若狭守、安並和泉守などによって、臼杵城へ追放されると、加久見城主・加久見左衛門らは憤慨します。
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そして、長宗我部元親の支援を受けた加久見宗清(加久見左衛門尉)、大岐左京進、江口玄蕃、橋本和泉守、山路出雲守、伊与田対馬守、伊与田国安、上山重正、上山源助、小島政章、和田兵衛、依岡左京、依岡右京進、野町四郎丸、沖長四郎、大塚八木右衛門らは、土佐・中村城の三家老である羽生監物、為松若狭守、安並和泉守を攻撃しました。
1575年、一条兼定は土佐・中村城に復帰しましたが、長宗我部勢の攻撃を受け、四万十川の戦いで大敗し、土佐一条氏は滅亡しています。
その後、大岐正行(大岐左京進正行)は長宗我部氏に臣従したようで、朝鮮攻めに参陣しますが討死しました。
次は加久見城へ向かいました。
・中村御所 (土佐・中村館) 一条教房
・土佐・中村城 四万十川の戦い
・加久見城 加久見宗清
・一条房家とは 土佐一条氏の2代目
・一条兼定 お雪供養塔
・四国の史跡や観光地巡り用オリジナル地図
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