河内・野崎城(のざき-じょう)は、大阪府大東市にある山城です。
慈眼寺(野崎観音)の裏山にある城で、標高114.4mのピーク部分に本曲輪(本丸)があります。
ただ、上記写真のとおり、すぐ裏には高い飯盛山がそびえているため、独立峰と言う事ではなく、飯森山城の山麓に突き出した小高い場所と言う事になります。
ただ、河内は湿地帯が多く、人が住める場所が限られていたため、交通の要所でもありました。
なお、野崎城と言う名称の城跡も、佐渡・野崎城、能登・野崎城、薩摩・野崎城と各地にありますので、混同しないよう注意が必要です。
最初の築城は不明ですが、楠木正行が河内・飯盛城に籠った際の1348年、北朝の縣下野守(あがた)が野崎城に陣を置いたとされます。
スポンサーリンク
また、室町時代に畠山義豊が、畠山尚順が籠城した河内・野崎城を攻めたとあります。
そのため、畠山氏が築いたとされていますが、遊佐氏が関連しているかも知れません。
三好長慶が飯盛山城に入ると、深野池の島にある三箇城と共に、飯盛山の西を守る支城として機能したのでしょう。
今回、時間が無く、遠景だけに留めましたが、河内・野崎城には、野崎観音の本堂左手から、飯盛山に登ハイキングコースの途中にあるようです。
河内・野崎城への交通アクセス・行き方ですが、JR学研都市線の野崎駅から徒歩約10分で野崎観音となります。
駐車場は、慈願寺(野崎観音)参拝者用になる有料駐車場を利用可能です。
・三箇城とは 三箇頼照・三箇頼連 キリスト教の一大拠点だった
・三好長慶 戦国時代最初の天下人は戦と和睦の連続だった?
・飯盛城(飯盛山城) 駐車場や道路状況など 続日本100名城
・大阪・京都など近畿の城跡・史跡オリジナル地図
この記事へのコメントはありません。