富山県

赤丸城 越中・中山氏の五位庄にある山城

赤丸城

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赤丸城(あかまるじょう)は、富山県高岡市福岡町舞谷にある山城で、標高は174m、比高150mほどです。
山頂部の本丸部分は「城ヶ平山」と呼ばれる山になっており、曲輪跡、堀切、土塁、井戸、殿様池と呼ばれる井戸、富山では珍しい畝状竪堀群などが見受けられるようです。

最初の築城は不明ですが、古くは元正天皇・第二皇子の居城とされます。
そのあと「利波臣」の本拠となり、南北朝時代には、その子孫の石黒光景か城主となりました。


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石黒氏は後醍醐天皇に従って戦い、1342年には、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王も在城したともあります。
そのとき「赤丸の御旗」、要するに日本国旗を立てたのか、赤丸城と呼ばれる理由・由縁になっているようです。
しかし、鎌倉幕府執権の北条氏に敗れると新川城に去って、その後、北条氏に従っていた中山氏が入った模様です。

長禄年間(1457年~1460年)には、加賀の守護・赤松政則が「城ヶ平」に一時在城したとあります。
戦国時代には、中山次郎兵衛が赤丸城主として見受けられます。
この中山次郎兵衛は、赤丸城から約600m東にある越中・浅井城主である中山国松の弟と言う事ですので、中山氏の領地だったのでしょう。
越中・五位庄と言います。

上杉謙信が越中に侵攻した際には、上杉勢が赤丸城を攻撃しました。

赤丸城

1581年、佐々成政富山城に入ると、中山氏は佐々勢に加わったようですが、能登・末森城の戦いのあと、本家は越前・敦賀へと落ち延びたようです。

1584年、前田利家の前田勢によって赤松城が改良されたようで、虎口などが設けられたと考えられています。
1585年、佐々成政が豊臣秀吉に降伏したあと、ほどなくして廃城になったと推測致します。

中山氏の本拠は、越中・浅井城になりますので、赤丸城は出城と言う役割だったようです。

赤丸城の登城口は、こぶし荘側と、南側の八幡社からの2通りですが、険しいようです。
ただし、比較的登山道は整備されていると言いますが、今回は雨天で足元も悪いため断念しました。


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鴨城へ交通アクセス・行き方ですが、最寄駅は、外国人が福岡と間違えて降り立つこともあると言う、あいの風とやま鉄道・福岡駅となります。

鴨城 斯波義将の家臣である二宮円阿の居城


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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