福井県

砕導山城とは 逸見国清

砕導山城




砕導山城(さいちやま-じょう)は、福井県大飯郡高浜町宮崎にある標高143mの山城で、比高は140mになります。
広さとしては、後瀬山城よりも規模が大きい、福井県で最大の縄張りになるようで、砕導山城砦群と総称として呼ぶと良いでしょう。
築城年は不明ですが、戦国時代に、高浜城を治めていた、逸見昌経(逸見駿河守昌経)が築いたと考えられます。

逸見国清は、若狭守護の若狭・武田氏に従っていましたが、独立性が高く、1517年には丹後の守護代・延永春信と結託して反乱を起こしています。
また、逸見昌経は1538年と、1561年にも国吉城主・粟屋勝久と反乱を起こしたようですが、これらの過程で、砕導山城を要塞化した模様です。





ただし、1561年には、武田義統と朝倉勢によって攻撃を受けたようで、逸見昌経は、丹波・八木城主の松永長頼を頼って逃れました。
1565年、逸見昌経は松永長頼の援軍を得て、高浜の旧領を奪還しましたが、その後は、海辺に若狭・高浜城を築いて本拠にしたため、やがて、砕導山城はあまり使われなくなった模様です。
1581年に、逸見昌経が死去すると、砕導山城は廃城になったと思われます。

砕導山城への交通アクセス・行き方ですが、佐伎治神社の拝殿右側にある、水槽の脇から登山道があるようです。
JR小浜線の若狭高浜駅から登山口までは徒歩10分くらいの距離になります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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