御舘館は、石川県羽咋郡宝達志水町御舘にある平城です。
別名は、御館の館、地元の皆様は殿様の館跡と呼んでいます。
御舘館は「おたち-の-やかた」と読みます。
以前、能登には蝦夷(えみし)がいて、アイヌ語の「あご」や「みさき」を意味する「のッ」と言う発音から、能登(のと)と呼ばれるようになったと言う説を目にしたことがあります。
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その時は、本当かな?、なんて感じていたのですが、その能登に御舘(おたち)と呼ぶ屋敷跡があると言う事で、蝦夷がいたのだろうと思えるようになりました。
戦国時代など新しい時代では、やかた(館)と呼びますが、能登や富山では、たち(舘)と呼ぶことが多いです。
蝦夷が平安時代まで残っていた東北では、たて・だて(館)と言う事が多いですが・・。
新潟でも御館の乱(おだてのらん)と言うくらいです。
まぁ、もっとも、縄文人の多くは蝦夷とも考えられ、稲作を始めた弥生人によって、だんだん、北へと追いやられたものとも推測できますが、古い時代の事なので確証は持てません。
ともあれ、能登の御舘館も、最初の築城や城主などは不明ですが、土塁や空堀が良く残っていて、道路からでもわかります。
保存状態も良いみたいで、規模もなかなかなものでして、県指定文化財になっている事がよくわかります。
江戸時代に記載された史料では、岡部忠澄(岡部六弥太忠澄)、順徳上皇の館跡ともありますが、裏付けるものはありません。
ちなみに、順徳天皇(じゅんとく-てんのう)は、よく知られていますが、後鳥羽天皇の子です。
鎌倉幕府を倒そうとして失敗し、佐渡島へ配流となり、佐渡にて没しており、真野御陵があります。
その、佐渡に行く途中に、この御舘に寄った(宿泊した)と言う事らしいです。
そのため、高貴な人間がいたと言う意味で、御舘と呼ばれるようになったのかも知れません。
このあたり、かつての城主や歴史がもっと明らかになれば、国指定になるほどの規模と遺構がある館跡です。
御舘館への交通アクセスですが、JR七尾線の宝達駅からタクシーで10分となります。
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駐車場は、御舘会館にある駐車場が利用できるようです。
ただし、城域は私有地ですので、立ち入ることは自粛させて頂きました。
能登・末森城とセットでどうぞ。
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