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長篠城の解説 武田と徳川が奪い合った激戦地

長篠城




長篠城(ながしのしろ)は、愛知県新城市長篠にある平山城で、標高は60m、比高は30mほどあります。
豊川と宇連川の合流部である切り立った川岸の上に築かれており、別名を末広城、扇城とも言い、国の史跡に指定されています。
2つの川が合流する場所は、突き出ており、その断崖絶壁の上にあるかたちになっています。
要するに天然の要害ですね。

長篠城

しかし、北側は台地で防御が弱かったので、大きな堀などを巡らせていたようです。

長篠城

最初の築城としては、1508年に、今川氏親に臣従した菅沼元成が築城しました。
以後、長篠・菅沼氏の居城となっています。

長篠城

桶狭間の戦いで、織田信長今川義元を破ると、長篠・菅沼氏は徳川家康に服属しています。

長篠城

1571年、武田信玄による三河侵攻が始まると、最初は天野景貫が長篠城を攻めました。

長篠城

この時、双方犠牲は大きかったようですが、陥落しなかったため、その後、武田軍の先遣・秋山虎繁(秋山信友)が、菅沼総領家である田峯菅沼氏を懐柔したため、長篠城主・菅沼正貞も、本家に同調して武田信玄の靡下に入りました。

長篠城

1573年、武田信玄は野田城攻めを行いますが、本国へ撤退する中で死去。

長篠城

それを知った徳川家康は1573年7月末に長篠城を攻撃し、菅沼正貞は8月に開城して退去し、武田信豊の軍に合流。

長篠城

その後、菅沼正貞は徳川家への内応を疑われ、小諸城に幽閉されています。

長篠城

徳川家康は、武田勢の侵攻に備えて、長篠城を拡張工事し、大規模な土塁などを築きました。

長篠城

1575年1月、徳川家に復帰した奥平信昌に500の兵にて長篠城を守らせると、1575年5月、武田勝頼が長篠城奪還のため15000を率いて長篠城を包囲します。

長篠城

そして、長篠の戦い(設楽原の戦い)へと発展しました。

長篠城を分断する飯田線

詳しくは下記の2つをご覧願います。

長篠城の戦い
設楽原の戦い

この時、長篠城は、武田勢が堀を埋めるなどし大きく損壊したことから、奥平信昌は1576年に新城城を築城し、長篠城は廃城となっています。





長篠城へのアクセス

長篠城への行き方は、JR飯田線長篠城駅で下車、徒歩約8分。
車の場合は、下記の地図ポイント地点が無料駐車場のある場所となります
城内に長篠城址史跡保存館があるので、設楽原歴史資料館と合わせて見学したいところです。
見学所要時間は20分~40分といったところになります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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