東京都

武蔵・小山城はどこにあったのか? 札次神社の伝承 (東京都町田市)

子種石

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京都町田市にある「武蔵・小山城」(おやま-じょう)ですが、その場所の伝承としては2箇所あります。
1つが多摩境駅からほど近い丘の上、もう1つは小山中央小学校の南西の小高い丘の地点です。
地形図でみる限りは、両方ともありえるため、実際に現地に行って見て参りました。
伝承の場所や推測などが正しいと申し上げる訳ではありませんので、間違っている可能性もございます。
ひとつの可能性としてご案内する次第です。

小山城その1

 
東京都町田市にある小山城跡は、城郭と言うよりは砦と言う感じで、戦国時代の北条家の頃まで使用されていたと考えられています。

小山城(町田)

多摩ニュータウン211号遺跡として発掘調査された際には、主郭とそれを取り巻く曲輪の最低2郭構成との事ですが、堀は横矢できるように折れており、中世後半の城郭跡と考えられました。
しかし、建物跡はほとんど見つからなかったと言う事ですので、恐らくは町田街道沿いの小山に在地武将の屋敷があり、津久井城や大山を望むこの高台が詰めの城と申しましょうか「監視台」程度の役割を持っていたのではと推測致します。(推測が正しいと申し上げる訳ではありません。)
発掘調査では、空堀や土橋の跡、段切状遺構・腰郭・柱穴等が認められたと言います。

小山城(町田)

上記の谷戸の先に見える丘が小山城(その1)です。
実測で標高162m、比高約42m。
なお、文献には出でこない城ですので、ここを小山城と呼んでいいとは限りません。

小山城へのアクセスは、下記の地図ポイント地点です。
すぐ脇にタイムズがあります。

小山城その2

小山太郎有高(小山有高)の居館は、福生寺の裏山にあったと伝わっており、その推定地が下記写真の場所です。

小山城(小山太郎有高)

横山党からの分家であると考えられる、小山太郎有高の名が見られるが、鎌倉時代の話であり、防御面で考えると、この場所がそのまま戦国期まで使用されたとは考えにくいですね。

小山城の下の崖

上記写真は、その小山城下の崖です。
現在は、多摩境駅周辺の宅地開発で、戦国の面影は全く残っていません
小山太郎有高について

下記の地図ポイント地点が小山太郎有高の館跡とされる場所です。
武蔵・小山城と呼ぶよりは、小山館跡と呼んだ方が良いでしょう。
実測で標高148m、比高約20m。

小山城からの展望

南側は展望を望める高台になっていますが、北側の防御は弱く、鎌倉時代の館としての特徴が伺えます。
ただ、井戸があったのか?が気になる所ですが不明でして、本当にここに館があったんだと、確証は得られませんが、地形図を見ますと、なるほど長方形の台地になっており、南側は崖で北側にはこんもりとした現在送電線の鉄塔が立っている地が土塁の役目を果たしているように思え、館を構えるのには適しているとも言えます。
しかし、どう考えても、麓の町田街道近くに屋敷を構えた方が便利です。
とにかく、水源が気になります。
ご意見などあれば、是非コメント欄にお寄せ願えますと幸いです。

以上のことから考えますと、小山太郎有高(小山有高)の小山城と言うより、小山館は多摩境駅近くの高台。
その後、戦国期に使われた小山城は、小山中央小学校近くの丘と推定できると存じます。


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札次神社

京王多摩線の多摩境駅からほど近い場所にあるのが「札次神社」。

札次神社

札次神社(ふだつぎ)の創建年代は不詳ですが、社伝では紀元前585年ともあります。
常陸の一宮「鹿島神宮」を奉遷したもので、江戸時代の1666年12月の検地で、札次大明神の朱印社領高12石2斗との記録が見られます。
湯花と言う珍しい神事があるほか、境内には子孫繁栄と養蚕信仰の「子種石」があります。

鹿島神宮の関連であることから、戦国時代の1556年頃に、常陸の行方郡島崎村の武将、すなわち嶋崎家(島崎家)一族の者がこの小山に逃れてきて、土着した際に奉遷したものと推測致します。
島崎家は、常陸大掾氏の一族が出自で、行方4族(行方四頭)の1つと言う名家でもあり、鹿島神宮の神官も務める家柄です。
戦国時代には佐竹義重佐竹義宣の圧迫を受けて、一族は関東一円にちりじりになったので、その際に小山に土着したのでしょう。

札次神社

なお、豊臣秀吉小田原攻めの際には、八王子城を守備した北条氏照の配下に、島崎二郎なる武将の名が見られます。
唐木田城主ともされるため、恐らくは小山の島崎家とも縁があった武将だと推測されます。

小山の島崎家は、現在でも100軒ほどその家が見受けられ、新選組で活躍した近藤勇の天然理心流先代・近藤周助も、この小山の島崎家出身です。

近藤周助についてはこちら

子種石

子種石(蚕種石)(こだねいし)は、その島崎氏が鹿島から逃れて小山の三ツ目に土着した際に、持ってきたと言う伝承がある石で、もともとは瓦尾根の路傍と呼ばれていた現在の尾根緑道に祀られていました。

子種石

石は武運長久、子孫繁栄の不思議な霊力を持っているとされ、子供に恵まれない女性が、丑の刻(夜中の1時~3時)に「子を授けてほしいと石を撫でながら祈願」し、その時、家からの往復で誰にも会わなければ子種が授かると信仰されています。なお、夜中とは言え、もし道中で人に出会うとご利益は無かったと言います。
実際に、ご利益で子の授かった女性も多かったと伝わるが、島崎家もそのお蔭か、現在、小山に島崎姓の家が100戸を越えています。
昭和に入り、この子種石が盗難に会うと言う事件もあったため、現在は小山町の鎮守・札次神社の境内に移されています。
なお子種石は、養蚕振興にご利益のある蚕種石とも呼ばれています。
多摩の隠れたパワースポットと言えるでしょう。

行き方やアクセスだが、場所は下記の地図ポイント地点。
多摩境駅からは徒歩3分といったところです。
駐車場はないので、近隣のコインパーキングを使用願います。

謎の謎の小山有高・小山経隆
横山党館の解説【横山党の本拠地】


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城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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