紀伊・塗屋城(ぬりや-じょう)は、和歌山県西牟婁郡上富田町朝来にある平山城です。
標高は45m、比高は40mほどになります。
最初の築城は、戦国時代の1585年、杉若無心が築いたとされます。
この杉若無心(杉若越後守)は、羽柴秀吉に仕えていた武将です。
豊臣秀吉の紀州征伐の際に、湯川直春と山本康長が籠城した龍松山城を攻めるため、その入口にあたる朝来に陣城が必要となり、急きょ、この紀伊・塗屋城を築いたものとなります。
もっと昔から、砦などとして使用されていた可能性も捨てきれませんが、定かではありません。
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そして、藤堂高虎、仙石秀久など合計3000ほどが、付近に布陣したものと推測されます。
龍松山城は3ヶ月間籠城したあと和睦とありますので、ここで3ヶ月程度、陣を張っていたと言う事になるかと存じます。
あまり長引きますと、評価も下がりますので豊臣勢の武将らはヒヤヒヤものだったと存じますが、戦後、杉若無心は功績により、近くの紀伊・泊城を与えられています。
ともあれ、紀伊・塗屋城はこの程度しかわかっていません。
今は城跡のすぐ西側を紀伊自動車道が通っています。
そして、たまたま大坂方面には道の駅「くちくまの」がパーキングエリアとして利用できましたので、予定外でしたが、PAから遠景の撮影だけ行いました。
紀伊・塗屋城に登城する場合には東側の階段から入っていけるようです。
ただし、未整備でヤブになっているようですので、無理はなさらないようお願い申し上げます。
そうそう、高速道路ですが、近年「逆走」するクルマが起因した正面衝突事故が増えています。
こればかりは、なかなか防ぎようがないのですが、もしかしたら、前から車が来るかもしれないと、前をしっかり見て運転しましょう。
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