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尾張・大草城(知多)のわかりやすい解説~伊勢湾を望む知多半島の要所で織田長益(織田有楽斎)が築城

尾張・大草城(知多)

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尾張・大草城(知多)

尾張・大草城(おおくさじょう)は愛知県知多市大草にある平山城
ただし未完の城とされる。
なお、尾張の小牧にも尾張・大草城があるので混同しないよう注意が必要。
下記写真は、尾張・大野城(知多)から撮影した尾張・大草城(知多)。

尾張・大草城(知多)

知多半島の大半を領した佐治氏の本拠地である尾張・大野城が南側にあるが、1574年?(1571年とも)に伊勢・長島城の戦いで佐治信方が討死。
遺児の佐治一成が家督を継いだ。

尾張・大草城(知多)

1582年、明智光秀による本能寺の変織田信長が没すると、清須会議にて尾張国織田信雄に与えられ、佐治一成は家臣に組み込まれる。
1584年はじめ、羽柴秀吉の意向か?、お江(浅井長政の娘、お市の方の娘)が佐治一成に嫁いたが、3月にの小牧・長久手の戦いとなった。
このとき、徳川家康が三河・岡崎城に戻る際に、佐治一成は佐屋街道の渡しにて船を提供したことから羽柴秀吉の怒りをかい、お江は離縁となり佐治一成は追放された。
そして、織田信雄から織田長益織田有楽斎)に知多郡が与えられた。
ただし、織田長益(織田有楽斎)が知多を与えられたのは1574年の段階だったとも諸説ある。


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ともあれ尾張・大野城の周りは水はけがよくないと言うことで、1584年から新城として尾張・大草城(知多)の築城を開始。
尾張・大野城(知多)は廃城となったが、大草城が完成する前の1590年に織田信雄が改易され、織田長益(織田有楽斎)は豊臣秀吉の御伽衆として仕えることになり摂津・味舌に移封となった。
そのため尾張・大草城(知多)の築城はストップしている。(大半は完成していた模様)

尾張・大草城(知多)

尾張・大草城(知多)は廃城となったが、江戸時代に入ると尾張藩の山澄淡路守英龍(山澄英龍)が5000石として、1666年から近くに陣屋をおいている。

現在、大草公園として整備されており展望台として大草城模擬天守がある。

尾張・大草城(知多)

水堀・土塁の大部分は完全な形で残っており、公園を一周できる散策路が整備されている。
下記は尾張・大草城の天守からの展望。

尾張・大草城(知多)

交通アクセス

名鉄・常滑線に乗車して新舞子駅にて下車し徒歩約10分。
数台だが大草公園駐車場がある。
ただし、アプローチの道路は狭いところもあるので走行注意。
駐車場の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

もちろん、尾張・大野城(知多)とセットでどうぞ。

織田有楽斎 (織田長益)の解説 野望を持たず戦国の世を生き抜いた織田信長の末弟
尾張・大野城(知多)の解説「佐治一成」と一時期正室になったお江(小督)の居城
坂部城(阿久比城・阿古居城)の解説「於大の方と徳川家康が再会した場所」最後の城主?は久松信俊


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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