羽茂城(はもちじょう)は、新潟県佐渡市羽茂本郷の羽茂川の右岸、城山と呼ばれる標高82mの地点に築かれた山城です。
佐渡国としては、最大の山城と言って良いでしょうが、比高は約60mほどで、すごく堅固であるとは言いにくいですし、シンプルな構造です。
佐渡・羽茂城には、五社城、荒上城、北の城という3つのピーク(峰)があります。
最初の築城は不明ですが、佐渡・雑太城の雑太本間氏から別れた一族の羽茂本間氏が、室町時代のはじめの頃(1390年頃)に、羽茂城を本拠地としました。
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本家筋に当たる雑田・本間氏家などと、何度も抗争を繰り返しています。
羽茂本間氏は羽茂平野の水田と、西三川の砂金を背景に、惣領家をしのぐ勢いだったようです。
羽茂城を中心に、西方城、清士岡城、岡田城、村山城、須川城、平城が支城の役割を果たしていた模様です。
豊臣秀吉の命を受けた春日山城の上杉景勝は、1589年6月12日に、出雲崎から数百艘の船で沢根に上陸し、翌日には河原田城を攻略。
6月16日に、佐渡・羽茂城が落城し、上杉景勝が自ら侵攻した佐渡攻めは、僅か4日で平定となりました。
羽茂城城主の本間高貞は、子である赤泊城主・本間高頼とともに海上へと逃亡しました。
しかし、嵐で船が佐渡に吹き戻されたと言い、捕えられたのち、斬首となっています。
上杉家は佐渡国を直轄地としたため、本間一党は所領没収となります。
そして、羽茂城には、直江兼続の家臣・大井田監物、富永備中長綱、黒金安芸尚信らが交代で城主を務めています。
しかし、1598年に上杉家が会津に転封となると、のちに佐渡は江戸幕府の直轄領(天領)となったため、羽茂城は廃城になったようです。
現在は「羽茂城址公園」として整備されており、本城跡には殿屋敷、奥方屋敷、五社城、荒神城、南の城等の跡、その他の遺構をなどが、よく残されています。
道路は駐車禁止ではないので、消防車など緊急車両通行の妨げにならないところに、なんとかレンタカーを止めて、城址に入っていきました。
しかし、蜘蛛の巣や、虫がたくさん飛んでいたため、速やかに退散しています。
くまなく探訪する場合には、季節は考えた方が良いかも知れません。
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交通アクセスですが、両津港から車で60分、小木港からは車で20分、小木港よりバスだと15分でプラス徒歩10分となります。
駐車場はありませんが、当方のオリジナル地図のポイント地点の道路に駐車しました。
駐車される場合にはカーブで見通しが悪いところや、大型の消防自動車(緊急車両)の通行を妨げないよう、ご配慮願いたく存じます。
駐車場から本丸までは歩いて10分ほどとなります。
近くの屋敷には「本間」さんと言う表札がありました。
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