名称 : 松江城、千鳥城
場所 : 出雲国
形態 : 輪郭連郭複合式平山城
天守 : 複合式望楼型 4重5階地下1階(現存)
遺構 : 現存天守・櫓・門・塀・石垣・土塁・堀・庭園
築城年 : 1611年(江戸時代初期)
指定文化財 : 国宝・国史跡
松江城とは
松江城(まつえじょう)は別名を千鳥城とも言う、宍道湖からすぐ近くの輪郭連郭複合式平山城です。
日本さくら名所100選、都市景観100選の他、日本100名城、日本の歴史公園100選、国の史跡、そして標高29メートルの亀田山に建つ松江城の現存天守は国宝です。
松江城がある場所は、もともと末次城でしたが、そんな松江城の歴史と関わりある戦国武将をご紹介しつつ、松江城の楽しみ方も入れてみたいと存じます。
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豊臣秀吉の死後、徳川家康に接近した堀尾吉晴の子である浜松城主・堀尾忠氏が、関ケ原の戦いの論功行賞で、出雲・富田24万石に加増移封となったのが、松江城の始まりになります。
堀尾忠氏に関しては、下記サイトにて詳しく明記致しておりますので、ここでは省略させて頂きます。
関ケ原の前哨戦での戦功を評価された堀尾忠氏は、月山富田城24万石と大幅な加増となります。
そして月山富田城に入りますが、城下町を拡大させるのが難しい地勢であったことから、徳川幕府の許可を得て、1607年(慶長12年)から末次城跡に築城開始しました。
縄張り(設計)は、太閤記の作者としても知られる小瀬甫庵(おぜ-ほあん)と言う儒学者・軍学者や、土木職人の稲葉覚之丞らであるとの事です。
ただし、堀尾吉晴も加藤清正とともに築城の名手とされていますので、当然、意見は反映されているかと存じますが、堀尾吉晴は荒隈山に築城した方が良いと言い、24万石では荒隈山は広すぎて維持でないと言う、子の堀尾忠氏とは意見が合わなかったようです。
なお、堀尾忠氏は、1604年7月下旬に、大庭大宮(神魂神社)を参拝した際に、神主の静止を聞かず、禁足地である小成池を見学したそうです。
一人で行って戻ってきた堀尾忠氏の顔色は青ざめていたと言い、月山富田城に戻ると病床につき、1604年8月4日に父よりも早く亡くなりました。享年27。
一説にはマムシに噛まれたのではないか?とも言いますが、松江城の完成は、幼くして藩主となった堀尾忠晴のときとなります。
石垣は、松江市の東にある嵩山(だけさん)から切り出した「大海崎石」(おおみざきいし)で、ごぼう積み・野面積になっています。
隠居していた堀尾吉晴か亡くなったあとの1611年冬に、松江城が完成し、松江藩の本拠となりました。
しかし、2代藩主・堀尾忠晴が1633年に死去すると、男子がいなかったため、堀尾家は断絶します。
そのため、1634年に、若狭・小浜藩から京極忠高が、26万石で入封し、三の丸が追加されています。
その京極忠高も男子に恵まれず、1637年に断絶し、1638年からは、信濃・松本藩から松平直政が18万6千石で入り幕末まで続きました。
松江城の本丸が近づいて参りますと、なかなか良い雰囲気になります。
本丸には、天守を囲むかたちで武具櫓、鉄砲櫓、祈祷櫓など6つの櫓があり、細長い多門塀(たもんぺい)にて繋がっていました。
松江城の天守は望楼型天守で、外観は4重ですが、内部は5階・地下1階になっており、平屋の附櫓も付属します。
江戸初期に建造した現存の天守となります。
下記が天守の入口となります。
靴は下駄箱に入れておく方式なので、ビニールに入れて持ち歩かなくて済み、ありがたいです。
内部はさすが、敵の侵入に対しての技巧も見られ、なかなか良い設計です。
昔の建物で、天守閣内部の階段はスゴク急ですので、女性はズボンのほうが良いです。
松江城の内部は写真撮影も許可されていましたので、何枚か撮影させて頂きました。
天守の中に井戸があるのは、戦国後期以降から見られる特徴のひとつです。
城下町の模型もあります。
下記は天守からの展望です。
なお、築城の際には軟弱な地盤でもあったことから、天守台の石垣が崩れたため、人柱を立てたといいます。
盆踊りを開催して、その中で一番美しかった少女を生贄として埋めたため、無事に工事は完了しましたが、その娘のたたりで、藩主が断絶・改易になったと噂されたそうです。
塩見縄手と呼ばれる地区には、600石程度の松江藩中級藩士の「武家屋敷」が有料拝観可能です。
この武家屋敷に住む家臣は、固定されていた訳ではなく、松江藩から家臣に貸し出された建物ですので、誰が住んでいたのかまでは、あまり気にしないよう、お願い申し上げます。
まつえ若武者隊
松江城では「まつえ若武者隊」の皆様が土日祝と月曜日に「おもてなし」をなさっておられます。
小生が訪問させて頂いた2回(いずれも平日)は、残念ながら、お会いすることはできませんでしたが、演武なども素晴らしいと聞き及んでおります。
お近くの方は、ぜひ、土日などに隊長の本間亀二郎さん、出雲修理さん、堀川茶々丸さん、帯刀・初さん、忍者・月照さん、千鳥・天愚さんなどメンバーさまに会いにお出かけなさってみてはいかがでしょうか?
もちろん、記念撮影にも快く応じて頂けますし、松江での良い思い出になるかと存じます。
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なお「まつえ若武者隊」の皆様は、隊長の本間亀二郎さんでも、侍大将(足軽大将)と言う設定でして、大名(藩主)や有名武将と言うように気取ってないところが、素晴らしいと常々感じております。
まさに、おもてなし武将隊の真骨頂と言えるのではないでしょうか?
今回、出陣日の月曜日に合わせて出張させて頂いたのですが、出雲空港に降り立ったのが遅かったせいか、松江城にて武将隊の方をお見受けすることはできませんでした。
数年後、再訪させて頂きましたが、また、曜日が合いませんでした。
Facebookでもお世話になっております、本間亀二郎さまにお会いできなかったのは残念でしたが、Twitterで配信されている内容を下記にてご紹介させて頂きます。
本間亀二郎さん、とてもいい人だった♪
ありがとうございます(*´ー`*)#まつえ若武者隊 pic.twitter.com/uI6DWYGoBA— MIKI (@m_tops) 2017年4月30日
松江城には他にも楽しみがありまして「堀川巡り」と言う遊覧船もあります。
今回、運行時間が終わってしまっていたのですが、日本にこのような堀巡りの船があるとは言え、外堀と内堀の両方を回れるのは、珍しいので、時間があればお勧めです。
松江堀川遊覧船は、単にグルット1周して戻ってくると言う遊覧ではなく、巡回バスのように、同じコースを船がグルグル運行されていて、3箇所ある乗船場で乗り降り自由、15分置きに船が来ると言う水上バスのようなパターンです。
定員12名ほどの小さな船ですので、本数は多く、乗船券は1日乗り放題券となっており、年間パスポートもあります。
1周すると約50分の所要時間になります。
また、パスポート(旅券)を提示すると、外国人割引もあります。
春には川辺からの桜も満喫できます。
松江城への登閣(観光所要時間)は、約50分といったところです。
高い木の上には、サギの巣も見られましたので、宍道湖や中海といった自然にも囲まれた良いところですし、宿泊した松江しんじこ温泉だけでなく、歴史ある玉造温泉も近いです。
交通アクセス
松江城への行き方・アクセスですが、JR山陰本線「松江駅」からですと、レイクラインバスで約10分、松江城「大手前」バス停下車となります。
ゴールデンウィークなどの連休中には、県庁職員駐車場が「おもてなし駐車場」として開放されるなど、観光にも力を入れています。
下記の地図ポイント地点は、松江城大手前駐車場(24時間・有料駐車場48台)の入口となります。
日本全国を回っていますと、県庁所在地は結構クルマが多くてレンタカーの運転も大変な時があります。
しかし、松江市は島根県の県庁所在地ですが、意外とスムーズに移動できました。(鳥取市も)
松江城山二之丸には下記の「興雲閣」と言う洋館も移築されていました。
その隣には、松江神社もあります。松平直政、徳川家康、7代藩主・松平治郷、堀尾吉晴が祀られています。
他にも松江市には、国指定史跡になっている「小泉八雲旧居」(ヘルン旧居)などもありお勧めです。
ちなみに、松江城の天守も外国人割引がありますが、JAF会員割引も利用できました。
中国(中華人民共和国)では、逆でして外国人は高い観光料金を取られますが、同じ中国?(中国地方)でも、松江の心意気は素晴らしいですね。
以上、まつえ若武者隊の皆様にお会いするのであれば、土日祝がお勧めです。
また、舟に乗るのであれば夕方ではなく昼間が良いでしょう。
2倍も3倍も楽しむ方法がある松江城ですので、ぜひ、うまく計画を立ててみて頂ければと存じます。
ちなみに、天守が国宝指定されているお城は、松江城の他に、姫路城、彦根城、松本城、犬山城となります。
この記事は戦国武将列伝Ωの記事を再編集したものとなります。
・3分でわかる堀尾吉晴とは~仏の茂助と呼ばれた豊臣家最古参の名将
・月山富田城の解説【日本100名城】尼子経久・尼子晴久・尼子義久
・浜松城(引馬城、曳馬城、引間城)の観光攻略&訪問記・写真集
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