備前・龍ノ口城(龍口城・龍の口城)(たつのくちじょう)は、岡山市祇園にある山城で、標高227mの龍ノ口山の山頂付近に気づかれました。
麓には旭川が流れる天然の要害で、比高は210mほどあり、天神山城、八幡山城、龍之口山城とも呼ばれます。
最初の築城は不明ですが、備前・金川城の松田氏が岡山平野へ進出するための拠点として築城したとも考えられます。
戦国時代になって勢力争いが激化するころには、松田氏の家臣・穢所元常が龍の口城主を努めました。
穢所元常
穢所元常は、漢字変換にも出てこない字ですので、皆さまのプラウザにて表示されているかわかりませんが、読み方は「さいしょ-もとつね」と言い勇猛な武将として知られます。
略した漢字ですと、税所元常(穢所元経)と書きます。
岡山市内には「さい」(漢字が出ません)という地名が残っており、税所、すなわち税金を取った豪族・穢所氏の出自とされています。
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浦上氏の家臣である宇喜多直家は、備前・砥石城、沼城(亀山城)を落として岡山の地を狙います。
しかし、ここで目障りになったのが、龍ノ口城でして、この城を攻略しないと、岡山への進出は果たせません。
1561年には、弟・宇喜多忠家に龍之口城を攻撃させました。
この時、穢所元常は竹田河原に布陣して、大激戦となりましたが引き分けとなったため、宇喜多直家はお得意の一計を試みます。
重臣の長船貞親が提案したともされます。
城主の穢所元常は、男色家として知られていたようで、美男子の小姓・岡清三郎(岡剛介)を送り込みます。
旭川にて綱を引く様子を見学していた穢所元常を見つけると、岡清三郎は川辺にて笛を吹いてアピールし、龍ノ口城に連れていかれたと言います。
岡清三郎は宇喜多直家の愛妾と通じた罪で、沼城内の牢に収容されていましたが、ある夜に逃亡してやってきたという話があります。
本当なのか、穢所元常に接近するための作り話なのかは、皆さまのご想像にお任せしたいと存じますが。
穢所元常は、岡清三郎を気に入って側に置こうとしましたが、危険と感じた家臣らはやめるように進言したと言います。
しかし、穢所元常は、完全に岡清三郎に心を許し、2人で酒盛りをしたり、その場にて寝込んでしまうこともあったと言います。
そして、6月中旬(夏)がやってきて、穢所元常が旭川に設けた避暑所にて、岡清三郎を相手に酒盛りをし、またいつものように寝込んだと言います。
このとき、周りに家来がいないのを確認した岡清三郎は、穢所元常の脇差を抜いて、突き刺し、首を取って逃げました。
そして、家来の早川左門らの追撃を振り切り、岡清三郎は無事、宇喜多直家のもとに戻ったと言うことになります。
これを機に宇喜多直家は龍ノ口城を攻撃すると陥落させ、支配下に収めました。
このとき、城内にて人質となっていた岡清十郎の母が殺害されましたが、岡清十郎いわく「あれはもともと赤の他人、こういう時のために乞食女を養っていたのだ」と言ったと言います。
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備前・龍ノ口城の主郭部分には龍の口八幡宮がありますが、山頂はまた違うところです。
山全体が龍ノ口グリーンシャワーの森となっており、登山口は3箇所あるようです。
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