岡山県

明禅寺城 明禅寺の戦いで宇喜多直家の大勝利も

明禅寺城

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備前・明禅寺城(みょうぜんじ-じょう)は、岡山県岡山市中区沢田にある山城で、操山につづく標高は110m、比高100mにあります。
現在は、操山公園となっている丘陵地で、岡山城から約8kmと近いところにあります。

ときは戦国時代毛利元就の支援を受けた備中・松山城主の三村家親は、岡山城・舟山城を攻略します。
そして、1565年には、後藤勝元が守る三星城攻めましたが、この時、沼城主・宇喜多直家は援軍を送り陥落を防ぎました。
このように、三村氏の備前侵攻・美作侵攻が本格的に行われてきたため、宇喜多直家は、阿波浪人の遠藤又次郎・遠藤喜三郎に鉄砲(短筒)を用いさせ、興善寺にて三村家親を暗殺させます。

そして、三村家の反撃を予測して、永禄9年(1566年)に、宇喜多直家は明禅寺城を築いたと言われます。

家督を継いだ三村元親は、弔い合戦として1567年、備前に侵攻します。
そして、真っ先に攻撃したのが明禅寺城でした。

明禅寺城

このとき、宇喜多勢は60名前後で明禅寺城を守らせていたようですが、1567年7月、夜襲を受けて陥落します。
そして、三村元親は、根矢与七郎、薬師寺弥七郎ら150を明禅寺城に入れました。

ところが、三村勢に下っていた、岡山城主(石山城)・金光宗高、中島城主・中島元行、舟山城主・須々木豊前守を宇喜多直家は寝返らすことに成功します。
そのため、明禅寺城の周りは宇喜多勢ばかりとなりました。
そのうえ、宇喜多直家は、明禅寺城に降伏を呼びかけたため、明禅寺城は三村元親に救援を要請しました。

明禅寺城の戦い

三村元親は、石川久智、植木秀長、荘元祐ら約2万の大軍で援軍として駆けつけ、沼城を攻撃します。
この動きを受けて、宇喜多直家は、三村元親に悟られないよう明禅寺城を速攻で奪いました。

三村元親は、明禅寺城の味方と、宇喜多勢を挟み撃ちしようと考えていましたが、三棹山(操山)付近まで進軍した先鋒隊の庄元祐に、山頂から駆け下りてきた宇喜多勢の明石行雄、戸川秀安、長船貞親、宇喜多忠家らが、鉄砲(火縄銃)で猛攻をかけます。(明禅寺合戦)
そのため、庄らは大混乱に陥り退却を始めました。

三村勢の中軍は石川久智が指揮していましたが、突撃した宇喜多勢は正面からだけでなく、左右に分かれて展開し、石川久智を3方向から挟み撃ちします。
そのため、三村勢は中島城に向けて敗走を始めました。

明禅寺城の戦い

三村元親は、沼城を目指して移動中のときに明禅寺城から火の手が上がるのを見て、まもなく、前衛が崩壊したとの知らせが届きました。
混乱して退却する者も多い中、三村家の旗本衆は、宇喜多直家と一戦を交えるべき軍勢を南に向けましたが、この動きを察知した宇喜多直家は、明石景親、岡家利らと三村勢に3方向から攻撃を加えました。
総崩れとなり、討死を覚悟した三村元親は、宇喜多勢に対し最後の突撃をしようとしましたが、諸将に止められて撤退します。

これが明禅寺の戦い(明禅寺崩れ)と呼ばれる、宇喜多勢5000が、三村勢2万に大勝利した合戦です。
三村勢で備中に無事帰還した兵数は、4000人ほどであったと言います。

この結果、宇喜多直家は、浦上家の家臣の中では発言力を高め、やがて独立した戦国大名へと駆け上がりました。

明禅寺城は、尾根上を段状に整形した単純な構えで、合戦に備えた一時的な砦(陣城)のような役割であったため、この戦いのあと、自然に廃城になったと考えられています。

巨石を利用した曲輪などがあるそうでして、操山には、金蔵山古墳や沢田大塚古墳などの古墳も多数あり、ハイキングコースが整備されています。


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ちなみに、三村家親を殺害した遠藤兄弟のその後ですが、遠藤又次郎は、宇喜多直家から所領を得たとされています。
さらに戦功をあげ、浮田河内と改名すると、徳倉城1万石となったとも言います。

弟の遠藤喜三郎も、のち6000石となり、宇喜多家の重臣になったと言います。
また、遠藤喜三郎の子孫は、関ヶ原の戦いにて宇喜多秀家が改易になると、奥州に赴いて津軽氏に仕えたとされています。

明禅寺城に登城する場合には、恩徳寺より北側から登山道を登って徒歩30分くらいとなるようです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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