岡山県

高越山城(高越城) 北条早雲が生まれ育った?備中の城

高越山城(高越城)




高越城(たかこし-じょう)は、岡山県井原市東江原町にある標高172mの山城で、高越山城とも言います。
比高は140mですが、最初は鎌倉時代中期の1281年に、宇都宮貞綱(うつのみや-さだつな)が執権・北条時宗の命を受けて、蒙古来襲に備えて築城したとされます。
山陽道と小田川を見下ろす高越山に築かれました。

室町時代には、伊勢盛定(伊勢行長、伊勢新左衛門行長)が「備中守」となって、六庄300貫の知行を得て、那須氏に代わって高越山城を居城にしました。
1452年に、伊勢盛定は荏原郷・法泉寺に寺領を寄進しているのが記録として残っています。





この伊勢盛定の子が、あの北条早雲(伊勢新九郎、伊勢盛時、伊勢宗瑞)で、最近は、1456年に中荏原荘(井原市)にて生まれたという説が有力となっています。
また、法泉寺で学問を学び、荏原荘の半分300貫を領したとも言います。

高越山城(高越城)

そのため、高越城址の本丸には「北条早雲生誕の地」碑が建立されています。

北条早雲生誕の地

ちなみに、小田原北条氏の重臣として見られる、大道寺太郎、内藤氏、笠原氏などはこの備中が出身ともされます。
もちろん、諸説ありますので、ご確認申し上げます。

高越山城

伊勢盛時(北条早雲)は、備中吉備津宮に一夜参籠し、京都伊勢氏の養子となり、文明15年(1483年)に室町幕府9代将軍・足利義尚の申次衆になり、その頃には京に出仕していたと考えられます。
その後、妹・北川殿の嫁ぎ先である今川家の家督争いを治めると、56歳にして駿河・興国寺城主となりました。

その後、高取城では、伊勢豊後守、伊勢新左衛門貞春、伊勢兵庫助貞勝と続きますが、尼子氏の南下攻勢を阻止し、伊勢貞春は毛利家に臣従しました。
1566年、その子・伊勢又五郎が16歳で出陣しましたが、出雲の月山富田城の戦いにて討死しています。

経緯は不明ですが、1581年には宍戸隆家の持城となっており、家臣の木村平内・神田六兵衛が在城した模様です。

高越城

宍戸隆家(ししど-たかいえ)は、毛利元就の娘・五龍局を正室にした、毛利家の重臣で、安芸・五龍城主です。

1600年、関ヶ原の戦いのあと、毛利家は減封となって、備中総代官・小堀新助が天領統治として赴任しましたが、高越山城は廃城となったようです。

高越山城

現在は高越城址公園として整備されており、毎年4月には高越城址顕彰会さんにて「北条早雲まつり」が開催されているとの事です。

高越山城(高越城)

交通アクセスですが、井原鉄道「早雲の里荏原駅」からタクシーで約10分です。
車の場合、山頂手前に駐車場が完備されており、駐車場から観光所要時間20分といったところで、見学には便利です。
ただし、麓からの道は、狭い箇所が多いです。
広いほうがよい場合には、北側にある井原ゴルフ場を抜けるように、大きく迂回すると良いのですが、そのゴルフ場までは、結局狭いです。
また、いずれにせよ、道も複雑ですので、当方のオリジナル地図をカーナビとして使ってご訪問頂くと便利だと存じます。
徒歩で登る道は、杖もあり、麓から700mほど坂道を登ると本丸です。

それにしても、北条5代、NHK大河ドラマになると良いですね。

北条早雲【詳細版】戦国時代の幕開け~北条早雲の生涯
興国寺城~巨大な堀切と高い土塁に囲まれたココから戦国時代が幕を開けた
宍戸隆家 毛利家を大きく支えた重臣筆頭





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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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