岡山県

日幡城 羽柴勢に奪われるも奪還した毛利家の意地と上原元祐も

日幡城




備中・日幡城(ひばた-じょう)は備中高松城からもほど近い岡山県倉敷市日畑にある丘城(平城)で、日畑城とも書くようです。

最初の築城は不明ですが、日幡氏の居城でした。
戦国時代に初代の日幡景教が築城したともされますが、もともとは「古墳」だったようです。

1551年には、備前・竜ノ口城に日幡景親(日幡六郎兵衛)が後詰して、浦上勢をしりぞけています。
また、1554年に、再び浦上勢が竜ノ口城を攻めると、日畑勢(日幡勢)は武功を挙げました。
1580年には、宇喜多直家が日畑城を攻めましたが、毛利の上原右衛門大夫元祐、村上水軍の来島通房(来島刑部通房)などが加勢して退けています。





1582年、羽柴秀吉は毛利攻めにて、毛利家の境目7城(宮地山城・冠山城・備中高松城・鴨庄城・日幡城・撫川城・松島城)の調略を行います。
そして、宮路山城・冠山城・亀石城が相次いで織田家に服属しました。

この時、日幡城には毛利勢として、上原元祐(上原元将)が城将(軍監)として守備し、二の丸にはもともとの城主とみられる日幡景親(日幡六郎兵衛)や大森蔵人が合計1000にて守っていたようです。

上原元祐(上原元将)

上原元祐(うえはら-もとすけ)は、備後・今高野山城が本拠でしたが、毛利元就の備後攻略に大きく貢献しました。
そのため、正室は毛利元就の三女を迎えており、宇喜多直家対策と織田家の侵攻に備えて、日幡城の守備を任されたようです。

しかし、織田勢の羽柴秀吉(豊臣秀吉)が大軍をもって、清水宗治備中・高松城を包囲します。
毛利家は援軍として、吉川元春小早川隆景らが岩崎山(岩崎山陣)に入りましたが、両軍はにらみ合いとなります。

そして、毛利勢は備中高松城を見殺しにするかのように、傍観している状況に前途を悲観し、上原元祐(上原元将)は羽柴家の調略に応じて織田家に寝返る決断をしました。
寝返りを誘ったのは、花房職之・戸川秀安ともされます。

こうして、二の丸を守る日幡六郎兵衛に、一緒に寝返るよう説明しましたが「あなた(上原)は毛利の加勢であり、毛利家の縁者であるのに残念な事である」と日幡六郎兵衛は断ります。
そして、日幡景親(日幡六郎兵衛)は本丸に行って、上原元祐(上原元将)を討ち取ろうとしたようです。
しかし、すで内応を示していた日幡六郎兵衛の弟・日幡八郎左衛門や上原元祐の弟・大森茂八(大森蔵人)※大森が日幡の弟とも?※ら数十人が、日幡景親(日幡六郎兵衛)を槍で突いて返り討ちにし、日幡城は羽柴勢に降伏しました。
なお、宇喜多勢が日幡城を受け取り、木村重茲が検使として日幡城を見分したようです。

この裏切りは、毛利勢の国司元武が上原元将と親しかった湯浅将宗に報告します。
そして、湯浅将宗は直ちに吉川元春と小早川隆景に知らせたのです。

毛利家の本陣とも言える岩崎山(岩崎山陣)からも近かった日幡城と、親類でもある上原元祐の寝返りは、毛利家にとっても許せるものではありません。

そのため、怒った小早川隆景は、楢崎元兼(楢崎忠正)の備中国と備後国の兵を指揮させて日幡城を奪い返しました。
もともと堅固な城ではなかったため、羽柴勢はあまり戦闘も行わず、撤退したようです。
なお、毛利元就の3女である、上原元祐の妻は、楢崎元兼に助けられて吉田郡山城へ送り返されており、毛利輝元は「軍忠軍功比類無し」と称賛しています。

また、羽柴秀吉は、自重して日幡城の救援を行っておらず、上原元祐(上原元将)は城を脱すると羽柴勢のもとに逃れており、のち1000石を与えられ京に滞在しましたが2年後に死去しています。(何者かに殺害されたとも)

反乱は鎮圧したものの、毛利元就の娘婿である重臣の離反は毛利家に大きな動揺を与え、三沢為虎や久代修理亮らも離反したと言う噂が生じています。

広島県世羅郡世羅町の「大田庄歴史館」には、羽柴秀吉が上原に宛てたと推測できる密書が現存しているそうです。





個人的な感想ですが、上原元祐が入ったのは古墳の楯築遺跡のような気が致します。
そのため、山続きである楯築遺跡が、平城である日幡城の本丸(丘の上)のように言われ、もともとの平坦な地にある日幡城は、そのまま日幡六郎兵衛が守備して二の丸扱いとなったように感じます。
そうでないと1000にて籠城するにも狭すぎるように思います。

余談ですが、遺構はほとんどないと言うことで、遠景をと思い、上記トップの日幡城跡遠景1枚撮影しました。
しかし、撮影したあと、田んぼ道に迷い込んでしまいました。
狭い道をバックで戻ったり、路肩から落ちそうになりつつ、何回も切り返しするなどしました。
無事にレンタカーは脱出できて次の撫川城へ向かいしましたが、毛利の城主同様に大変苦労いたしました次第です。

備中・高松城 水攻めの舞台となった備中高松城址と陣跡
備中高松城の戦い 備中高松城の水攻め 蛙ヶ鼻築堤跡
撫川城 かつての水路や水濠が残っている沼城
冠山城 備中高松城攻めの前哨戦で全滅した城
宮路山城 備中高松城攻めの前哨戦で降伏した山城
小早川隆景【詳細版】~毛利家大きく支えた智将
山陽・山陰の史跡や城跡めぐりに便利な地図





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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