室賀正武(むろがまさたけ)の居城となる、室賀城主(笹洞城・原畑城)は長野県上田市にあります。
トップ写真の原畑城と、詰の城となる山城・笹洞城などをまとめて「室賀城」と呼ぶことになり、単体で室賀城と言う名称の城はありません。
戦国時代には村上義清の家臣で、上田原の戦いでも村上勢として室賀経俊が参戦しています。
その後、武田信玄に臣従すると「信」の字を与えられて、室賀信俊(室賀山城守信俊)と改名しました。
そして、長篠城や、駿河・田中城の城将のひとりとしても、室賀氏の名が見受けられます。
この室賀信俊(室賀山城守信俊)は、1575年の長篠の戦いにて重傷を負って帰国したとあります。
なお、戦国期には原畑城の背後にある笹洞城(下洞山)を中心に、跡部城(三頭山)、伊勢崎城(摺鉢山)と山城を築くと詰め城としたようで、これらを総して室賀城とも言います。
下記が笹洞城(下洞山)です。
約1万石ほどの勢力だったようで、原畑城が屋敷として機能しており、現在の原組公民館の一角に「室賀氏屋敷跡原畑城」の碑が昔はあったようですが、現在は失われているようです。
ちなみに、青木村の村松には、小山田茂誠と村松殿の居館がありました。
室賀城へのアクセス・行き方ですが、JR北陸新幹線・しなの鉄道「上田駅」から千曲バス・室賀線で「室賀温泉ささらの湯」バス停下車となります。
クルマの場合、下記の地図ポイント地点が、原畑城があった辺りです。
駐車場はありませんが、道路は駐車禁止ではありません。
地図は縮尺を変えてご確認願います。
なお、近くにある前松寺(ぜんしょうじ)が、室賀氏墓所となっています。
室賀氏墓所は、2016年に地元の方により整備され「室賀氏の墓」と行き先案内板がありました。
しかし、どこだか分かりませんでした。
恐らくは、前松寺の裏山に続く道の途中にあるかと存じますが、裏山ではなにやら作業もなさっておられましたので、遠慮させて頂きました。
なお、誤解があるといけませんので記載しますが、室賀正武が暗殺されると、室賀氏はこの地を捨てて逃亡しています。
そんなこともあり、室賀氏の誰の墓かは不明でして、室賀正武の墓があるかも確認されていないようです。
ただし、後世に墓(供養碑)として設置した可能性もあり得ますが、古いお墓は、刻まれている文字が読めなくなることが多く、その結果、誰の墓か不明となりますので、なんとも言えません。(戦国時代くらいの墓は、だいたい読めることが多い・・。)
念の為、前松寺がある場所ですが、下記の地図ポイント地点が駐車場となります。
原畑城からもそんなに遠くはありません。
下記はオマケ写真ですが、室賀峠史跡公園です。
・室賀正武の真田昌幸暗殺未遂事件
・第1次上田城の戦い【第一次上田合戦、神川合戦】の概要と経緯
・北能登守とは~小川城主として真田家に貢献した武将
・真田昌幸~戦国時代を巧みに生き抜き真田家を守った名将
・出浦盛清【出浦昌相】(出浦対馬守盛清)とは
・徳川家康と言う人物に迫る 性格や死因は?
・日本のお城訪問に便利なオリジナル地図
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