長野県

荒砥城 山城として復元されロケ地でも有名な史跡公園

荒砥城

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荒砥城とは

荒砥城(あらとじょう)は、長野県千曲市の上山田温泉の背後にある山城で、別名は新砥城とも書きます。

戸倉上山田温泉街の「城山入口」交差点から、山の上へと、大変急な坂を登って行きます。
クルマやタクシーで上がって行けます。
ただし、温泉の宿泊客が、山道を散策しているので、注意して走行してください。
それにしても、スゴイ急坂なので、凍結したり雪が降ったら登坂は困難ですので、冬季は避けると良いかも知れません。
でも、荒砥城を見るのはそれだけの価値がありますので、是非、お勧めしたいです。


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千曲市の公式サイト「城山史跡公園 荒砥城跡

荒砥城は連郭式山城で、千曲川を見下ろす標高590mに本郭があります。
城山史跡公園への入場は有料で、高校生以上は300円、中学生までは無料です。トイレもありますが、無料駐車場は10台ほどです。

最下部の地図のポイント地点は、駐車場への入口付近です。
駐車場から緩やかな上り坂の歩道をあがっていくと、管理棟があり、入場料を支払います。また、トイレは管理棟の付近にあります。
門をくぐって、更に登っていく必要があるので、足腰が弱っている高齢者はキツイかも知れません。
でも、頂上部に行くと、眼下に千曲川を見下ろす、素晴らしい展望が待っています。

荒砥城

上記の写真のように、戦国時代の山城の雰囲気が良い感じで復元されています。

荒砥城

村上義清の本拠地である葛尾城も、千曲川の対岸にあり、支城として役割を果たしました。
天文22年(1553年)に、武田信玄が葛尾城が落とすと、屋代城主・屋代政国に荒砥城が与えられています。


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天正10年(1582年)、武田勝頼が討死して武田家が滅亡すると、屋代秀正は上杉景勝に従って、海津城の副将となりました。
しかし、天正12年(1584年)4月1日、屋代秀正は徳川家康に内通したため、上杉景勝は荒砥城を攻めたため、屋代秀正は城を捨てています。
その後、真田幸村(真田信繁)が、春日山城にて上杉景勝の人質となっていた際に、領地として与えられたともあります。

荒砥城からの展望
 
対岸には、村上義清の本拠地だった「葛尾城」も見えます。
なお、荒砥城は NHK大河ドラマの撮影ロケ地として「風林火山」と「江~姫たちの戦国~」で撮影も行われました。

さて、荒砥城への交通アクセスですが、山の上ですので、クルマでないときついものの無料駐車場が完備されていますので、訪問しやすいです。
ただし、徒歩では、かなりキツイですので、行きだけでもタクシーがおすすめです。


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なお、駐車場から、本丸部分までも、結構な上り坂を歩きます。
舗装整備されていますので、歩きやすいのですが、ご高齢な方などは、かなりキツイと存じます。

観光所要時間は駐車場からで40分~60分といったところです。
上田城や海津城(松代城)とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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