目次 Contents
三河・市場城とは
市場城は愛知県豊田市の山間部に位置し、戦国期には鱸(すずき)氏4代の居城として、100年近い歴史が刻まれた山城です。
市場城のある地域は、以前は西加茂郡小原村でしたが、平成17年(2005年)に豊田市に編入合併されました。
小原地区は古来より和紙の原料である楮(こうぞ)が多く得られる事と、紙漉きに必要な川が流れており、和紙工芸の里として知られており、昭和58年(1983年)には当時は皇太子であった徳仁親王(126代徳仁天皇)と皇太子妃雅子様(徳仁天皇皇后雅子)が和紙のふるさとに来館するなど、一時は消滅寸前までいった小原地区の和紙は工芸品として復活を遂げ、国内外で販売されるようになりました。
スポンサーリンク
和紙工芸以外の他、通常は春の代名詞である桜ですが、秋にも開花するシキザクラが小原地区には約1万本あり、小原地区ではその繁殖に力を入れているため、小原ふれあい公園や川見四季桜の里などの名所に加え、市場城では石垣と桜と紅葉を一枚の写真に収める事ができます。
歴史
鎌倉時代の最末期にあたる元弘元年(1331年)打倒鎌倉幕府を掲げ、後醍醐天皇は兵を挙げ、弓の名手として名高い足助重範(あすけ-しげのり)は三河足助の地より兵を率いて後醍醐天皇方として笠置山の戦いに参戦し、幕府方の武将を討ち取りますが、笠置山陥落の際に捕縛されて処刑されます。
足助重範の弟である足助重春(あすけ-しげはる)の一族が室町時代初期にあたる応永年間(1394年~1482年)の始め頃、小原谷に進出した際に築いて拠点としたのが市場城の始まりです。
ただし、この時の居城は現在の市場城の東500m程の地であり、現在は市場古城と呼ばれています。
文亀2年(1502年)西三河一帯に松平氏の勢力が拡大していく中で、城主の鱸親信(すずき-ちかのぶ)は堅固な山城を築く必要性から、市場城を築いたと伝わっています。
築いた当初の市場城は山麓を削った曲輪と鋭い切岸、土塁に囲まれた桝形が存在し、本郭の東にある崖には畝状竪堀を配した中世城郭を象徴するような山城でしたが、徳川家康に従い、武田氏との戦いの中で各地を転戦して戦功を挙げた四代目の鱸重愛(すずき-しげよし)は、本丸や周囲の曲輪、城門などを石垣で固めた上で、多くの帯曲輪を配して近世城郭に近い形に改修していきました。
天正18年(1590年)徳川家康が関東に移封となりますが、鱸重愛はこれに従う事を拒否したため市場城を退去させられ、文禄元年(1592年)に市場城は廃城になったと説明板には記載されています。
交通アクセスと登城
公共交通機関で訪問するには不便な地のため、自家用車での訪問をお勧めします。
豊田市内から国道419号線を北上していくと、小原観光協会と小原ふれあい公園に入る交差点に出ます。
この交差点から、さらに300m程進むと、左手に入る路地脇に市場城の案内板がありますので、それに従って山道を登っていくと、城址入口に出ます。
入口から見て道路を挟んで反対側には乗用車が10台以上駐車できる駐車場があり、トイレも併設されていますので、ここで車を停めて城内へと入ります。
入口から登っていくと道は左右に遊歩道が分岐するポイントに出ます。
城内を1周する形で遊歩道が整備されていますので、どちらから回ってもこの地へ戻ってくる事になりますが、右側から回る事をお勧めします。
特に四季桜が咲く10月末頃は、必ず右周りで進んでください。
分岐を右に進むと赤い鳥居が連なっている場所に出ますが、市場城主の供養塔です。
供養塔を参拝した後、脇の通路を登っていく事になりますが、この道は三郭と二郭の下に配された曲輪の間を通る事になるため、左右からの攻撃に無防備に晒される事になります。
通路を抜けると二郭に出ますが、中世山城に積まれた近世城郭に見られる見事な石垣が迎えてくれます。石垣の上には四季桜と紅葉が植えられており、タイミングが良ければこのお城でしか見る事のできない美しい景色を堪能する事ができます。
二郭の石垣脇を進むと本郭に出ます。
本郭の周囲は見晴らしが良く、城址碑と看板が設置されています。
本郭を北に進むと帯曲輪を抜けて降りていく先に畝状竪堀群がありますが、愛知県下で唯一の確認例であり、現在も3本の竪堀を見る事ができます。
竪堀群の上部を抜けた先に桝形門が形成されています。
この桝形門は他の城とは異なり、最初は尾根の堀切だった部分に石垣を築いて桝形に造り変えているため、桝形の原型と考えられています。
桝形門を抜けると帯曲輪の下に位置する形で家老の尾形三左衛門の屋敷があったと言われるさんざ畑に出ます。
周囲は土塁に囲まれており、この曲輪でも紅葉と四季桜の競演を見る事ができます。
さんざ畑を抜けると、最初の分岐点に戻り、城を一周した形になります。
その他関連施設等
・市場古城
豊田市市場町365-1
熊野神社境内から登城が可能ですが、主郭に上るために藪漕ぎをする場合もありますので、季節を選んで登城する必要がありそうです。
スポンサーリンク
・西運寺
豊田市市場町633
市場城主の奥方の菩提寺で、寺の周囲にも四季桜が植えられています。
(寄稿)だい
・どうする家康の舞台「岡崎城」下を巡る~築山殿と岡崎信康の首塚
・尾張・常滑城の解説~徳川家康伊賀越えを終えてひと安心した地
共通カウント
この記事へのコメントはありません。